隅田川七福神巡りに行ってきました

 1月5日、労組OB・OG会の仲間たちと隅田川七福神巡りに行ってきました。参加したのは会員、家族、友人の22名。快晴の空の下、3月並の気温とのことで、快適なウォーキングが出来ました。
 終了後、有志による新年会をセットする都合上、標準コースとは逆になる、東武スカイツリー線の堀切駅から出発ました。このコースはどこからでも東京スカイツリーが望めます。
 隅田川七福神巡りは江戸後期、佐原鞠瑀(きくう)が開いた向島百花園に集う文化人らによって始められた。
 そもそもは、佐原鞠瑀が所持していた福禄寿尊の陶像から話が膨らみ、近隣の寺社から七福神を選定したという。この時、寿老人だけ揃わなかったため、白鬚大明神を寿老人に見立てた。寿老人が、隅田川七福神巡りにおいては「寿老神」となっているのは、そのためである。
 途絶えていた七福神巡りを庶民の間に流行させたのは、明治31(1898)年頃に結成された隅田川七福会だという。この後、明治44年頃には、七福会により巡拝路の整備が急速に進められた。

<毘沙門天> 隅田山吉祥院多聞寺
 天徳年間(957~60)に隅田千軒宿に草創されたと伝えられる。その後、現在地に移転。震災や戦災で焼失を免れた数少ない寺院、明和年間(1764~1772)に再建の茅葺き山門は現存する建造物では墨田区最古。毘沙門天は本尊。
画像画像
画像画像

<寿老神> 向島白鬚神社
 天歴5(951)年、近江国の白鬚大明神を勧請したのが起こりという。貴重な社殿は放火で焼失し、再建されたもの。主祭神は猿田彦大神。
画像画像
画像画像

<福禄寿尊> 向島百花園 福禄寿堂
 向島百花園は、文化元年(1804)佐原鞠鵜が開園した国指定文化財。佐原鞠鵜が本草の神として愛蔵し信仰していた福禄寿尊が百花園庭内に祀られる。なお、普段は白髭神社境内の小堂に祀られ、正月だけ園内の福禄寿堂に祀られる。2枚目の写真は、園内の福禄寿尊の案内碑(明治41年の建碑)。
画像画像
画像画像

園内で咲いていた冬ボタンと、春の七草の寄せ植え
画像
画像画像

名残の紅葉と、咲き始めたソシンロウバイ
画像画像

<弁財天> 宝寿山遍照院長命寺
 開山は不明だが、元和元年(1615年)頃とも伝えられてる。もとは常泉寺と号したが、三代将軍家光が鷹狩りの折、腹痛に見舞われ、寺の井戸水で薬を飲んだところ、治まったことで長命寺と改称した。本尊は阿弥陀如来。
画像画像
画像画像

境内で記念撮影(私は左端です)
画像

 長命寺付近のフユザクラです。
画像画像

<布袋尊> 牛頭山弘福寺
 延宝6年(1673)の創建。勝海舟も修行したことで知られる禅宗の名刹。境内の咳の爺婆尊(写真4枚目)が有名。本尊は釈迦如来。
画像画像
画像画像

<恵比寿神・大黒神> 三囲神社(みめぐりじんじゃ)
 元、田中稲荷と称した。創立年代は不詳。三囲の名は、土中から発見された老翁像の周りを白狐が三度回って消えた縁起に由来。三井家ゆかりの神社でもある。祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)。恵比寿神と大黒神は、小さな木像が社殿左手の境内社に祀られている。
画像画像
画像画像

 三囲神社を参拝し終えて、門前で解散となりましたが、全員が東武スカイツリー線のとうきょうスカイツリー駅まで歩くことになりました。東京スカイツリーを目指して歩けば迷うことはありません。
画像画像

 今年は特に具体的なお願い事はしませんでしたが、健康に暮らせれば良いと思っています。