今回は小さな花がたくさん咲くカリブラコアを取り上げました。始めて入る路地にとても綺麗な花が咲いていたからです。
写真を撮っていたら、近所にお住まいの女性が「綺麗でしょう?」と寄ってこられました。そして、「こっちのユリも綺麗だから・・・。毎年楽しみにしているの」と仰います。なるほど、あまり見かけないピンクで、綺麗なユリですね。
riverさんが今朝投稿された「トライアンフェター」という品種(こちら)に似ています。
こちらは、翌日のウォーキング中に見かけたカリブラコアの寄せ植え。手前は高松商事の「ネオンローズ」、左上は千草園芸・ノーヴァシリーズの「ライトブルー」、右上は同シリーズの「ライトブルー」。
カリブラコアの手前で咲いていたトルコギキョウ(トルコ桔梗)です。リンドウ科トルコギキョウ属の多年草。
6月13日、14日撮影。
トルコキキョウはリンドウ科ですが、こちらは本物のキキョウ(桔梗)。キキョウ科桔梗属の多年草です。
ピンクは久しぶりに見ました。
6月5日、9日撮影
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大型客船の旅(41) 5月3日(航海6日目)
博多町屋ふるさと館
MSCスプレンディダ号で日本一周のクルージングの途中、博多に上陸しています。
「どんたく広場」で博多どんたくのパレードを楽しんだ後、櫛田神社にお参りしましたが、近くに「博多町屋ふるさと館」があるので、展示棟を見学しました。
ふるさと館では、「古き伝統文化が息づく博多。古き良き時代の『博多』の暮らしを紹介する施設です」(公式パンフレットより)。HPはこちら。
展示棟の展示の中に「町割りと流」について解説したものがありました。どんたくのパレードで○○流れが登場しましたが、その意味がよく分からなかったから、ここのパネルで理解出来ました。
太閤町割について
天正15年(1587)6月、専科で焦土と化した博多の町を再考したのは豊臣秀吉でした。
(中略)焼け野原となった博多を検分し、すぐさま再興(都市計画)を指示しました。
この都市計画は「町割(まちわり)」と呼ばれています。(後略)
流の成り立ちと変遷
「流」は博多独特の町の形態です。十数ヶ町が一つの「流」を形成、町人自治のシステムとして、また、山笠や松囃子(どんたく)などの祭礼行事を協力しておこなう共同体として現在も生き続けています。(以下、略)
(展示パネルから)
明治時代の博多どんたく博多松囃子を小さな博多人形で再現したもの。
明治時代の風俗
明治時代の中心街(現 明治通り呉服町交差点付近)
博多祇園山笠(曳山・舁き山)のミニチュア模型
こちらは飾り山笠の模型
この後、櫛田神社に戻り、近くの商店街で「のどぬーるスプレー」を買い求めて、15時40分頃、博多港に戻りました。
船室に戻って少し休みます。
(つづく)
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