今回はその報告、4回目です。
7番目の大黒天を祀る千住本氷川神社に向かう途中、千住新橋のたもと近くにある足立区の施設「学びピア21」に立ち寄りました(写真、左下)。この建物の4階デッキ(写真、右下)から荒川が見渡せます。
デッキから荒川の堤防へ降りて撮った写真。左下は千住新橋。右下は首都高中央環状線とJR常磐線の鉄橋。
千住本氷川神社に向かう前に、旧日光街道の宿場町通り商店街 (北千住サンロード商店街)を歩きました。商店街の北の外れには、古い建物が残されています。
横山家住宅(伝馬屋敷・地漉き紙問屋)
千住宿の北のはずれに、江戸時代に建てられた奥行きの長い商家で、伝馬屋敷の面影を今に伝えています。「浅草紙」(今で言うトイレットペーパー)として梅田や本木の農家から漉き返しの再生紙を買い入れ、日本橋方面へ売りさばいていました。
明治維新の上野戦争の折には、彰義隊士によって、玄関の柱に刀傷をつけられました。太平洋戦争でも火災を免れ、今に残っています。
千住絵馬屋・吉田家
吉田家は、8代続いた絵馬屋です。千住宿内や近郊農村の人々に絵馬、地口行灯提灯、ビラの揮毫を生業としていました。外観はリフォームされていますが、かなり古い建物らしい。
現在は、眼病平癒や学業成就を願う絵馬を作っています。製作者吉田晁子さんは、足立区登録無形民俗文化財保持者です。
大黒天を祀る千住本氷川神社です。12時半にJR北千住駅を出発し、3時25分頃到着しました。
境内は意外に広く、鳥居を入って右手奥に社殿がありました(昭和45年新築)。
鳥居の正面にあった旧社殿は取り壊され、向拝部分を改築して末社とし、その中に大黒天が祀られています。
中は暗くて写真を失敗したので、大黒天の写真は神社のHPから拝借しました。
旧社殿向拝の彫刻が素晴らしい。
千住本氷川神社
鎌倉時代の徳治2年(1307年)に今の千住曙町に創設された牛田氷川神社が本神社の発祥。
江戸初期に、現在地に千葉氏の一族であった権の兵衛(小林氏)等の地主が土地奉納によって分社を建立した。 明治43年隅田川の洪水を防ぐ為、千住町北側に荒川放水路構築、この用地に鎮座の氷川柱を分社に合祀。別当寺の西光院は放水路南、隅田川添いに移築、共に現在に至る。
旧社殿は日光東照宮造営に奉仕した大工が建立したと伝えられているが、棟札等は判明していない。
千住本氷川神社で解散となりましたが、有志20名弱が北千住駅近くの居酒屋で新年会を行いました。
この記事へのコメント
目黒のおじいちゃん
寿々木
river
あきらめぬ 忍耐と努力に 大黒天さま(千寿七福神めぐりガイドより)
無門
見事な竜の彫り物に
惚れぼれしますね
しばらく見ていたい感じだ
乙女ヶ丘
昨日テレビの番組で柴又帝釈天の彫刻を
紹介してましたが千住本氷川神社の彫り物も
素晴らしい迫力ですね 是非この目で…
長さん
道中ではたいした話は出来ませんでしたが、終了後の新年会で色々な話が出来たようです。
長さん
商売人の方には恵比寿神と大黒天が人気ですね、弁財天も財宝の神様で人気だそうですよ。
長さん
川越のように古い建物が残っていれば良いのですが、関東大震災や太平洋戦争で消失したものが多かったようです。
勿論、最後の新年会目当てで参加するものもいました。都合で七福神巡りは参加できなかったけれど、宴会だけに参加するものもいました。
千寿七福神巡りガイドからの引用でしたか。初回にマップを紹介したHPですね。
長さん
江戸時代に出来た社殿にはこうした立派な彫刻が彫られたものが多いですね。
イッシー
千住は歴史ある宿場町なのでしょうね。
私はあまり行く機会がないけれど。
長さん
古い神社には本殿に彫刻が施されたものが多いですね。
柴又帝釈天の釈迦堂は昭和4年にできたものですが、羽目板10面の浮き彫りは大正・昭和の名工が彫ったもので、拝観は有料になっています。8年前に見に行ったときの様子はこちら↓。
http://kobacho-niwaijiri.at.webry.info/200903/article_45.html
長さん
千住宿は日光街道と水戸街道の起点ですから、江戸時代からかなり賑わった宿場町です。震災や戦争で古い建物が少ないのは残念です。
信徳
洪水になれば直ぐに河川敷は水が上がるのでしょうか?
神社の千社札がベタベタ貼ってありますが貼っているところを見た事がありません。誰もいない時刻に貼るんでしょうか?貼るところ見たことがありますか?
うふふ
千住新橋を車で渡った記憶があります。
確か、広い河原と遠くにスカイツリーが見えたとように思うのですが、ここだったのでしょうか。
玄関に彰義隊士がつけた刀の傷が残っているとは驚きますね。
歴史のある千住らしいです。
大黒様が最終でしたか。
先日私のブログにアップしたトートバッグが大黒様の袋のようだと書いたのは偶然の一致でしたね(笑)
shuuter
調べてみたら七宝 ちなみに 寿命 人望 愛嬌etc
物ではありませんでした。
月奏曲
大黒天は程よく年季入ってていい感じですねぇ…あ、建物の方ですね。
仏像とか御神体はちょっと汚しとくほうがありがたみが出る気がするのw
長さん
荒川放水路は川幅が広く右岸、左岸とも野球やサッカーが出来るようになっていますが、多分増水時には水没するでしょう。
江戸時代は千社札を張る風習があったそうですが、合成糊を使うと木を傷めるため、今は禁止している神社もあるとのこと。どこだったか忘れましたが、貼るのを1度見たことがあります。
長さん
国道4号線(日光街道)を都心に向かって走っていたのでしょうか。その場合、東京スカイツリーは前方屋や左手に見えるはずです。
刀傷は見ることが出来ませんが、歴史の事実が分かるというのは機長ですね。
そう言えば、大黒様の袋と仰っていましたね(笑)。
長さん
大黒様の袋に入っているのは物ではなく、精神的な宝物だと言うことですね。6つしかないのに七宝というそうです。
長さん
私が子どもの頃はガラスの引き違い戸で板壁の家はいくらでもあって、駄菓子屋もそんなところでした。今は寒くて住めないかも。
大黒天の石像は他の物より古いみたいですね。旧社殿も如何にも古く、ありがたみがありました。
mori-sanpo
龍の躍動感のある彫刻には迫力を感じました。
長さん
余程広い境内でないと、今やこういう木造の社殿は作ることが出来ませんから、貴重な神社建築ですね。
eko
最後は大黒様ですね。今年も恒例の七福神巡り、良い年になることでしょう。こちらへも福のおすそ分けを頂きました(笑)
なおさん
千住も宿場町としてにぎわったことでしょうから、良いですね。紙漉き問屋や絵馬屋さんの家がありますか。
氷川神社の大黒様も良い雰囲気ですね。
すーちん
現在も絵馬製造販売
してるとは嬉しくなりますね
居酒屋での新年会が良いですね
nobara
最後に仕事してた時の上司がそこに住んでられて(女性)
たしか? 芭蕉さんの旅の出立の場所??
横山家住宅などたてもの園に通じるものもありますね。
居酒屋にも参加されて・・よくなる一方ですね。
長さん
千住宿にも刀傷という歴史の証人があったのには驚きました。
画面で一緒に七福神巡りをした方にはきっと福が訪れますよ(笑)。
長さん
小江戸川越の町並みには遠く及びませんが、ささやかに歴史を感じさせる場所がありました。横山家住宅は是非公開してもらいたい物です。
長さん
千住絵馬屋・吉田家は注文で作るらしく、店頭販売はしているような雰囲気はありませんでした。
長さん
千住宿にはこのような古い建物が数軒の超されているそうです。
奥の細道では、隅田川を船で送ってもらった芭蕉が千住で皆に別れを告げるシーンが最初に書かれていますね。
横山家住宅は中も公開してくれると、いっそう興味がわくと思いました。