千寿七福神巡り(3) 元宿神社(寿老神)、氷川神社(布袋尊)

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 1月9日、労組OB・OG会の仲間と共に千寿七福神巡りに行ってきました。
 今回はその報告、3回目です。

 5番目の寿老神を祀る元宿神社は、千住神社から墨堤通りへ出て北へ、西新井橋の近くで右折したところにありました。立派な社号碑が建っています。
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 鳥居をくぐると社殿は目の前。戦後の建物でしょう。
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 寿老神は本殿の左手前に祀られていました。この石像も新しいですね。
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 囲みの説明文に出てくる「感旧碑」です。
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元宿神社
 この地は鎌倉時代に集落ができていた古い土地で、奥州路もここを通っていたといわれ、江戸時代初期の日光街道開設とともに成立した「千住宿」に対し「元宿」と称していた。
 天正の頃、甲州から移ってきた人々によって、北部の川田耕地などが開墾され、その人々の守護神八幡神が鎮守としてここに祭られたという。明治末年、一時千住4丁目氷川神社に合祀されたが、昭和5年稲荷神を合祀して村社となり、再び元宿の鎮守となった。
 荒川放水路の開削により、祖先が苦心して開拓した耕地は河川敷となり、多くの人々は悲しくも故地を離れねばならなかった。それらを記した境内の「感旧碑」は足立区内の開拓の歴史の貴重な資料である。
 (足立区教育委員会掲示板より)


 6番目の布袋尊を祀る氷川神社(大川町氷川神社)は、元宿神社を出て左へ、荒川の土手沿いに東に進んだところにありました。後で気づきましたが、こちらは裏門でした。
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 上の写真に見える鳥居の右奥に富士塚がありました。ここはいつでも登ることができ、赤いコートのS君が登っています。
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 現社殿は、昭和42(1967)年に造営されたものだと言うことです。
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 布袋尊は二ノ鳥居の右手前に安置されていました。
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 境内には、旧千住新橋の標柱や紙すきの碑が置かれていました。
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大川町氷川神社
 鎌倉時代の永仁年間(1293年)の創建で氷川、稲荷、浅間の三社からなり安養院がその別当寺だった。
 その頃は旧日光街道をはさんだ北側にあり、そこが大正年間荒川の河川敷に指定されると現在地へ移転させられた。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和43年に現在地に移築復元された。

 氷川神社の表門を出て、最後の千住本氷川神社(大黒天)に向かいます。
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 (つづく)

 ラン展の写真と交互に連載しています。


この記事へのコメント

  • 寿々木

    今度は寿老神と布袋様ですか、拝見して自分も七福神巡りの気分です。立派な石像です。
    2018年01月15日 14:03
  • 信徳

    私の持っている「東京さんぽ地図」では常磐線・北千住駅、京成本線・千住大橋駅が北東限で千住神社、千住署、東京芸大、スポーツ公園しか載っていませんでした。
    何時間、何キロ歩かれたんですか?
    2018年01月15日 15:52
  • river

    お上の都合で甲州から移ってきた人々も折角開墾した土地を離れざるを得なかったとは何とも気の毒ですね。
    弱者に 思いやる心に 寿老神さま
    差しのべる 慈悲の心に 布袋尊さま
    2018年01月15日 16:41
  • 乙女ヶ丘

    こんにちは
    千住宿辺りは時代小説にもよく出てきます
    古に思いを馳せながら訪ねてみたいですね
    2018年01月15日 17:34
  • 無門

    こんにちは

    布袋さんの姿は
    日本では誰が見ても
    布袋さんですが
    中国では
    弥勒菩薩ですよね
    2018年01月15日 19:00
  • 長さん

    寿々木さん、コメントありがとうございます。
    二つの石像は共に新しいものですから、なんとなく現代的な作風ですね。
    2018年01月15日 19:05
  • 長さん

    目黒のおじいちゃん、コメントありがとうございます。
    こうして一緒に巡る仲間が多いと言うことは嬉しいことです。
    2018年01月15日 19:06
  • 長さん

    信徳さん、コメントありがとうございます。
    地図をご覧になるなら、グーグルマップがおすすめです。拡大していくとかなり細かい目標物も発見出来ます。
    巡り方にもよりますが、北千住起点で約5.6キロ、3時間見れば十分です。
    2018年01月15日 19:13
  • 長さん

    riverさん、コメントありがとうございます。
    大正時代は、移転の補償金とか換地などという制度はなかったのかもしれませんね。
    2018年01月15日 19:18
  • 長さん

    乙女ヶ丘さん、コメントありがとうございます。
    江戸時代、千住宿は日光街道や水戸街道の起点でしたから、旅立つ人をここまで見送りにきたそうです。芭蕉の「奥の細道」にも登場し、「行く春や鳥なき魚の目は涙」は見送り人と別れるときの句ですね。
    2018年01月15日 19:24
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    布袋さんは中国の唐代末頃に実在した坊さんで、中国では今でも弥勒菩薩の化身と言われているそうですね。
    2018年01月15日 19:27
  • shuuter

    7福神の初詣ハイキングに出かけた夜から 風邪で寝込んいます。
    元気なつもちだったのですが、安静が第一とベッドに入り込んでいます。
    2018年01月15日 19:54
  • なおさん

    やはり、神社やお寺に詣でるのは新年の気分を感じられるのと、この1年平穏無事でありますように、という願いを籠めるには大事なのでしょうね。
    2018年01月15日 20:14
  • mori-sanpo

    千寿七福神の歴史の中に、荒川放水路との関わりがあるんですね。
    水田耕地の開墾、その耕地を放水路にした経緯、それに関わりのあった人たちの労苦は大変なものだったと思います。
    2018年01月15日 20:25
  • 月奏曲

    ちょっと新しくて歴史感じないのが残念かなぁ?
    あと20年くらいするとずっしりした重厚感出るんでしょうねぇ
    2018年01月15日 20:44
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    風邪ですか。七福神巡りでお疲れになったのですね。お大事に。
    2018年01月15日 21:45
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    御朱印集めの通によると、神社は日頃のお礼をするところでお願いをするところではないのだそうです。ところが、この七福神巡りはすべて神社なんです。でも、皆さんお願い事をしていたようです。
    2018年01月15日 21:49
  • 長さん

    mori-sanpoさん、コメントありがとうございます。
    治水事業は国家的施策でやむを得ない側面はありますが、大変な苦労をして開墾した人たちにとっては耐えがたいことだったでしょうね。
    2018年01月15日 21:53
  • 長さん

    月奏曲さん、コメントありがとうございます。
    石像が新しいと、なんかありがたみが薄いですよね。TVが映画の小道具係に古さを作り出してもらいましょうか(笑)。
    2018年01月15日 21:56
  • eko

    今回は寿老神と布袋尊ですね。
    両方とも新しくて現代的な石像ですね。
    治水事業でせっかく開墾した土地を離れなければならなかった先人たちのご苦労もあったのですね。
    こちらでは歩いて七福神巡りは出来ないので、ありがたくご一緒させて頂いています。
    2018年01月16日 00:03
  • すーちん

    お早うございます
    七福神巡りした事ないですが
    新たな気分で一年過ごせますね^^
    2018年01月16日 07:36
  • 夕焼け

    おはようございます。
    やっと落ち着きましたが、まだ尻に火が付いている感じを受けます。
    お正月も終りこれから地に足をつけて歩きたいと思います。

    今年もよろしくお願いします。
    2018年01月16日 09:21
  • 長さん

    ekoさん、コメントありがとうございます。
    岐阜県内にも何カ所か七福神巡りがあるようですね。岐阜市北東部と長良川沿いにある「ぎふ七福神めぐり」は3時間ほどで回れるとか。
    2018年01月16日 09:37
  • 長さん

    すーちんさん、コメントありがとうございます。
    江戸時代にたくさん出来た七福神巡りですが、お願い事をして回ると言うより、新春の庶民の娯楽みたいな要素が強かったらしいです。
    2018年01月16日 09:39
  • 長さん

    夕焼けさん、コメントありがとうございます。
    ハワイ旅行に続けて沖縄旅行なんて、私らにはまねが出来ません。
    飛行機だったので、まだ足が地に着きませんか(笑)。
    2018年01月16日 09:41
  • 降魔成道

    何だか私も一緒に巡っている気分になれます。
    荒川放水路の話など、なかなか興味深いです。
    2018年01月16日 20:10
  • 長さん

    降魔成道さん、コメントありがとうございます。
    私も住民移転の話は初めて知りました。苦労して開墾した土地を追われる人の心境はどんなだったでしょうね。
    2018年01月16日 21:31

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