熱帯ドリームセンターの屋外展示(1) & ツタンカーメンのエンドウ

2017沖縄旅行記(24) 2月7日(火) その9 沖縄本部観光(8)
 沖縄国際洋蘭博覧会の展示が並ぶ、熱帯ドリームセンターの温室から外に出ました。カトレア温室の東側には「ロータスポンド」がありますが、その温室側もランの花で飾られています。
 バンダ温室側に円形のパーゴラがありますが、その柱もランで飾られていました。
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 ランの飾り付けは切花が多いので、業者さんが交換をしていました。
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 熱帯果樹温室(写真の右奥)に向って歩きます。
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 常設の植え込みもランの花で覆われました。
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 ラティスや園芸用の支柱を利用してランが飾られています。
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 ロータスポンドです。オオオニバスの葉が浮かび、その奥に熱帯スイレンが咲いていました。
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 広島市植物公園と新潟県立植物園の協力出展
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 次回は、果樹温室に入ります。
 (つづく)


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 ウォーキング中に見た花です。
 ツタンカーメンのエンドウです。
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 日本に持ち込まれた経緯と、広まった由来を調べてみたら、囲みのような記事を見つけました。お時間が許せばお読み下さい。
 ツタンカーメン(中略)の副葬品の中には当時のエジプト人の食卓に並んでいたと思われる物も発掘されている。このエンドウの種子もその内の一つで、カーター(注:イギリスの考古学者)が発見したと言われている。
 カーターは、発見したその種子を持ち帰り、育ててみることを思いついた。すると、播かれたエンドウは見事発芽し、カーターはその栽培に成功したと言われている。また、カーターが栽培した種子の一部はアメリカに渡り、栽培が続けられたという。
 我が国にこのエンドウが持ち込まれたのは昭和31年である。茨域県水戸市の大町武雄氏が、サクラやイチョウなど日本特産の種子をアメリカに送った返礼としてⅤ.イレーヌ・ファシスワース婦人より、 いわれを書いた手紙とともに数粒の種子を受け取った。
 大町氏は、自分一人で栽培するのはもったいないと考え、希望者に分けた。その一部が昭和39年に日立市の助川小学校で栽培され、昭和42年千葉県八日市場市の須賀小学校に5粒が送られた。
 その後、水戸市の会社経営者富田氏が、知人から得た豆を水戸市長にいわれとともに数十粒届けた。当時の市長和田氏は大変感激し、市内各小学校に2粒ずつ配布し栽培した結果、市内三の丸小学校で 栽培に成功した。同小学校は全国小学校理科教育研究発表の会場校であったところから、全国に広めようと栽培が続けられた。
      (「中央学院高校・生物部のWebページ」から引用)

 窓格子にビニール傘がずらり、その数は21本。このお宅、いったい何人家族?
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