ドナウベンド観光(1)・・・エステルゴム大聖堂

中欧5カ国8日間旅行(39) 旅行6日目(6月9日…その5)
 午前中はブダペストの世界遺産を中心に観光しましたが、午後は2つのプランから選んで観光するようになっています。画像
 プランAは添乗員が同行する「ドナウベンド観光」、プランBは「ブダペスト市内散策」で、私たちはプランAを選びました。
 老舗カフェ・ジェルボーの昼食サービスが遅く、30分以上遅れての出発です。
 ドナウベンド(ドナウ川の曲がり角)にあるエステルゴムとセンテンドレを観光しますが、GoogleMapを拝借してブダペストからの位置関係を示しました(右上。ブダペスト・エステルゴムは直線距離で約60Km)。ドナウ川が左(西)から右(東)へ、更に、大きく下(南)へと流れを変えているのがお分かりいただけるでしょう。

画像 右は、エステルゴムに向う途中で目にした黄色い花です。何でしょうね。

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 スズキ自動車の工場を右手に見て10分後、15時少し前、エステルゴムに到着しました。
 大聖堂のドームが見えます(上)。

 「エステルゴム大聖堂」です。エステルゴム大聖堂は、ハンガリー・カソリックの総本山で、高さ100m、直径53.5mのドームを持つ新古典主義様式の建物です。迫力がありますね。
 現在の建物は、オスマン朝によって破壊された後、1822~69年に再建されたもの。列柱の上に書かれた金文字は、ラテン語で 「この教会は、ハンガリー人にとって母なる存在である」 という意味だそうです。大聖堂の前には聖マリアの銅像が立っています。
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エステルゴム大聖堂
 初代ハンガリー国王戴冠の地にした、ハンガリーにおけるキリスト教の総本山。10世紀末、初代国王イシュトヴァーン1世はそれまでの民俗信仰に替えキリスト教化を進め、ハンガリー初の教会を建設。その功績により1000年のクリスマスにローマ教皇から贈られた王冠を戴冠し、ハンガリー王朝の幕開けとなった。
 16世紀にはオスマン朝の侵攻によって占領されたものの、現在に至るまでハンガリー・カトリックの中心地であり続けている。
(「地球の歩き方・中欧」より)

 大聖堂の南側に「王宮博物館」があります。ここは13世紀にブダへ遷都されるまで歴代ハンガリー国王の居城だったそうです。
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 大聖堂の裏手は、ドナウ川を見下ろす展望台になっていました。
 ドナウ川の対岸はスロヴァキア領です(横3枚を合成)。左手の大きな建物は「キリスト教博物館」です。その後ろに見えるのは「マーリア・ヴァレーリア橋」(第二次世界大戦中の1944年にドイツ軍に破壊され残骸のままだったが、2001年に復旧工事が終了し、現在は徒歩で渡っていけるようになった)。
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 大聖堂の中に入りました。高いドームから差し込む光で明るいです。
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 主祭壇とその上部を飾る絵画「聖母マリアの昇天」です。1枚のキャンバスに描かれた絵としては世界最大級とのことです。
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 ファサード側を撮りました。入口上にパイプオルガンも見えます。ネット情報では、この扉から入れるのはクリスマスの日だけだそうですが、この日は開いていました。
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 左下、主祭壇の上の天井画。    右下、ファサード側の天井です。
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 両翼の祭壇と宗教画です。
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 右翼の祭壇下に頭蓋骨が置かれていました。ハンガリーの共産主義時代、宗教は弾圧され、宗教関係者の多くが捕らえられ、拷問を受けて亡くなっています。そのため、二度とこういう時代が来ないようにとの戒めを込め、拷問死した人たちの髑髏を安置しているのだそうです。
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 大ドームの天井と、その下に施されたモザイク画です。何故か、一部に紗が掛けられていました。
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 ガラス窓には繊細な模様が画かれていました。右下は、金色に輝く小ドームの天井です。
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 有名なレリーフだそうですが、説明は忘れました。
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 素晴らしい建物・絵画・彫刻・装飾を見ることが出来たエステルゴム大聖堂、帰り際にもう1枚。
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 ドナウ川の右岸を走り、センテンドレに向います。
 (つづく)


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 我が家の花です。

 正確には、ペラルゴニウムの“エンジェルアイズ・ビオラ”と言うようです。
 5月に花の盛りが過ぎたので、切り戻しました。まだつぼみが沢山あります。
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