ブダペストのブダ側(ドナウ川の西側)の観光をしています。
王宮の丘から降りてきて、丘の南にあるゲッレールト山に向いました。
その途中、車窓から撮った「国立美術館」です。ブダ城の中核をなす建物で、写真の奥にドナウ川が流れています。
ブダ城の歴史
1241年、モンゴル軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されるとベーラ4世が石造で再建した。
14世紀にラヨシュ1世によってゴシック様式の王宮に改造されたが、17世紀にオスマン帝国軍の攻撃で破壊された。
18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建され、バロック様式への改造が行われた。
19世紀半ばに発生した火災とその後の第一次世界大戦、第二次世界大戦で大規模な被害を受けたが、20世紀半ばに再び修復された。 (Wikipediaより)
ゲッレールト山に到着しました。バスを降りて、斜面を登ります。右手に見える石垣は「ツィタデッラ」と呼ばれる城塞です。
ゲッレールトの頂上付近です。右手の構造物も「ツィタデッラ」で、ハプスブルグ帝国がハンガリー民族を監視するために建てたものです。「ツィタデッラ」の奥にシュロの葉を掲げる女神像(ナチス・ドイツからの解放を記念して旧ソ連軍が建てたもの)があります。
「ツィタデッラ」の前はブダペストの街とドナウ川の流れを眺める絶好のビューポイントになっています。
景観を右手から順に並べます。
1枚目はドナウ川の東、ペスト地区です。
続いて、ドナウ川です。中央に「くさり橋」が見えます。
3枚目はブダ地区で、先ほど観光してきた王宮の丘です。
ブダ城(国立美術館)をズームアップしました。奥に、マーチャーシュ教会の尖塔も見えます。
ゲッレールト山を下ります。城塞の石垣に掲示してあった古い写真です。
左下は1850年に画かれた、ゲッレールト山からの風景。右下は、第二次世界大戦で破壊されたくさり橋。
こちらはゲッレールト山を下る途中の展望台です。この日の夜、夜景を見に、ここまで来ました。
手前の木が邪魔をして、景観は先ほどと比べると今一ですが、自撮りをするカップルを入れたので良い写真が撮れたと自負しています。
ゲッレールト山で見た花です。
これから、世界遺産のアンドラーシ通りに行き、ヨーロッパ大陸最古の地下鉄に乗ります。
(つづく)
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日比谷公園の花です(7月11日撮影)
この記事へのコメント
river
なおさん
衝立??のように並ぶ石垣の要塞だから「ツィタデッラ」というワケでもないのでしょうが、面白いものです。
これはなんだろう?というのは、日本ですとクマシデに近いようなものでしょうか。面白いですね。
真夏にもバラがちらほら咲いてすバラしいですよね。
長さん
ドナウ川はブダペストの北で本流と分流が一緒になり、一気に水量を増しました。
ドナウの真珠とかドナウのバラと讃えられているそうですが、この復興ぶりを見るともっと大きな形容が欲しいところですね。
花咲か爺
何処を切り取っても絵画のような風景ですね。
長さん
ツィタデッラの語源はイタリア語チッタデッラ(要塞)とのことですが、1900年には、それこそ「衝立」のような城壁が取り払われたんだそうです。
日本ならクマシデでしょうね。ヨーロッパにそのような品種がないので悩んでいます。ひょっとすると、クマシデを植えたのかも。
夏バラがたくさん咲いていたんですが、日照り続きのせいか傷んでいました。
長さん
自撮り棒、中国や韓国の人たちは持っている人が多いですねー。
ブダペストはドナウの真珠とかバラとか言われているほどで、美しい町でした。
shuuter
花は甘い香りを放つそうですね。見てみたいです。
eko
ゲッレールトの丘の絶景ポイントからの眺めは素晴らしいです。
暑くてもバラがまだ咲いているんですね。プリンセス トゥ モナコ数少ない名前のわかるバラです(笑)
mori-sanpo
また、この場所から見える夜景も絶景でしょうね。
長さん
現地ガイドがニワトコとはっきり発音していました。調べてみたらセイヨウニワトコだったのです。花の香りは試してみませんでした。
長さん
ブダ城は半端な大きさではありませんからね。ハンガリー国民の情熱というか、歴史を守ろうとする意気込みを感じます。
ゲッレールトの丘からの眺め、天気が良かったので最高です。
夏バラの季節ですが、やはり日照りには勝てないようです。
長さん
ゲッレールトの丘、これだけの展望ですから、ハプスブルグ家がハンガリー民族を監視するための要塞を作ったのも無理からぬ話です。
天気が良いので、夜景も期待できます。それは後日のお楽しみ(笑)。
藍上雄
ヨーロッパの建物見ごたえがありますね。クリムトとかの実物を観賞できるのですね。日本で行われる展覧会とは一味違ったものでしょうね。
まり
気が付きませんでした。
長さんの記事で色々と新発見をさせていただいています。
この日も盛り沢山の行程でしたので、続きがワクワクです。。
ロシアンブルー
ドナウ川のさざ波、歌に出てくるこの川のことを歌いながら創造してました。
こんな感じだったのかと・・・良い眺望の写真を見せていただきました。ゆったりとした流れですね。
ゆけむり
この画像を見ただけで、いつか自分も行ってみたいと、引き込まれるぐらい美しい眺めですね!
自分だったら翌年の年賀状用に決定です(笑)
あっ、色々とカメラのご指導ありがとうございました
露出を変えるのがベストなのは分かっているのですが、思い立ったらササッと写すタイプでして、ツアー参加時はその都度変える時間がないのが実情です
ほとんどオート&フラッシュオフモードにしっぱなしで撮影しちゃってますね・・・
それはそうと、今後は海外旅行の頻度が減るとの事ですが、それはちょっと残念ですね・・・
長さん
ホップの花穂に似ていますね。ただ、葉が三裂ではないことが相違点で、なおさんが仰るように、クマシデの仲間のようです。
クリムトの絵はウィーンのベルヴェデーレ宮殿で見ましたが、残念ながら撮影禁止でした。
長さん
シュロの葉を掲げる女神像、エリジェベート橋辺りから見えましたね。ガイドブックに載っていなくても、今はネットで探すことができますから、写真だけは撮ってくることにしています。
多分、あと一週間ほど続きますよ。
長さん
ドナウ川はブダペストの手前で本流と副流が一つになると共に、マルギット島という中洲もなくなり、川幅がぐっと広がりますから、流れもゆるやかでした。
長さん
ゲッレールトの山からの眺め、天気が良かったからバッチリです。年賀状用ですか?私も妻もそれを意識して、有名な観光地では写真を顔入りの写真を撮ってきましたよ。
観光で移動しながらの写真は確かにあれこれ設定を変える暇がないですよね。私もオートの設定にしていることが多いですが、これぞという時は撮影後しっかりモニター画面で確認しています。
寿々木
OZMA
また、お写真もお上手に撮られています。
特にカップルを入れたお写真は、パンフレット等で掲載されそうです^^
すーちん
災害やら二度の戦火からも
見事に立ち直りましたね
自撮りもこういう絶景は良いですね
nobara
さしずめ、お城の城壁みたいなんでしょうね。
この頃、自撮りのカップル見かけます。
お隣の方たちとばかり思いましたが
他のお国の方にも浸透してきているんですね~
こういう広い所はいいですが狭い所は危なくて。
クマシデみたいなの日本でもよく見かけます。
ビールのホップのようですよね。
セイヨウニワトコというのもあるんですね。
みっきい
ステキなお写真が撮れていますネ!
絵葉書でない人の入った写真も大好きです。
夜景もご覧になられたのですね!?
長さん
ドナウ川は総延長2860Km、流域面積81.6万平方キロに及ぶ大河でブダペストはその中流にあたります。流量は多いですよ。
7月14日の記事で書いたドナウベンドのあたりはライン川のローレライと似たような雰囲気でしたが…。
長さん
写真をお褒めいただき、恐縮です。今回は重い一眼レフを持って行かず、コンパクトデジカメやiPhoneで撮った写真なんですよ。
長さん
戦火や災害に遭ったものをこれまでに復興した力はたいしたものですね。ハンガリー民族は周囲の国々とは異なった民族なので、その誇りがあるのでしょうね。
ヨーロッパの人、自撮りもスマートですよね。
長さん
この城塞はハンガリー民族にとって屈辱の歴史でもあるのです。
自撮り棒が流行っていますが、なんかスマートじゃないですよね。このお二人、絵になっていました。
日本ならクマシデで当りなんですが、ヨーロッパではそれらしきものが見当たりません。ホップにも似ているんですが、ホップの葉は三裂しますね。ニワトコも西洋にはないはずと思って検索したらあっさりセイヨウニワトコが見つかりました。
長さん
天気が良かったお陰で、ブダペストとその中心をゆったりと流れるドナウ川の絶景を見ることができました。世界遺産をこうして高いところから見るのも良いものですね。
人物を入れた風景写真は臨場感が増しますね。
夜景は後日ご覧いただきます。
はるる
よく見えますね。
雲もいい形でおもしろいです。
カップルを入れるとまた違った雰囲気の景色になりますね。
長さん
この日は良く晴れて、見通しが利きました。日本の雲とは何か違うように見えますね。やはり、島国と大陸の中の国とは気象条件が違うのでしょう。
毎度、絵はがき的な写真じゃ変化がないですからね。
無門
戦時の苦しみを知っている橋
それゆえに
人々の心のよりどころですね
長さん
ブダとペストを結ぶ橋は、その殆どが破壊されています。ブダペストの市民にとっては、復興のシンボルなのかも知れませんね。
K.たじまん
長さん
モンゴル軍が攻めてくるまではそんなに大勢力から攻められるなんて想定外だったのでしょう。
17世紀には大砲が実用化されていますか、破壊の威力も増したのでしょう。世界大戦の頃は空爆も行われたでしょうから、破壊力は一気に増しました。それを復元したんですから大変な事業だったのですね。