プラハ歴史地区観光③・・・カレル橋

中欧5カ国8日間旅行(20) 旅行4日目(6月7日…その3)
 プラハ城の見学を終え、新登城道を下って行きました。
 写真の左上がプラハ城です。
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 左下、壁がはげ落ちているのではなく、黒い部分が古い壁面。
 右下、古い飲み屋。
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 狭いトフノヴスカー通りを抜けてきました。その一角に、何故かチャーチルの胸像。この右手が英国大使館なのだそうだ。
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 中世らしい模様が描かれた渡り廊下    鹿の石造が飾られた建物
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 マラーストラナ地区にある、円筒形のドームと鐘楼を持った聖ミクラーシュ教会(旧市街広場にも同名の教会がある)。
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 聖ミクラーシュ教会からカレル橋は間もなくです。橋を防御するため、橋の両側に3つの橋塔があり、これは西側(小地区側の橋塔、2つの塔からなる)。
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 橋を渡ります。もろに逆光で、写真が真っ黒。右下は、ブルンツヴィーク像。
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 神聖ローマ皇帝カール4世の命により1357年に建設が始まり、1402年に完成(長さは515.7m、幅9.5m)。1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。
 橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる。最も古いものは「十字架像」で1361年の文書に登場する(現在のものは1629年に作られたもので、オリジナルはプラハ国立博物館に保管)。三十年戦争の間に十字架像を除いて全て破壊されたが、1683年、ヤン・ネポムツキー像が新たに据えられた。その後1714年までの間に合計28体の彫像が製作された。

 橋の上から小地区側の橋塔を振り返りました。
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 上の写真のあたりで南を見ると、ヴルタヴァ川の運河に水車が見えた。そばに、ブロンズ像らしきものが。このあたりは、トム・クルーズ主演の映画「ミッションインポッシブル」に出てくるとか。
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 欄干の彫像の中で著名なもののひとつ、「聖人ヤン・ネポムツキー像」。
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 この像の基部にあるネポムツキーのレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ、多くの人に触られたためつるつるになっている。現地ガイドの塚原さんによると、橋から落ちる人物像に触れないと、御利益はないとのこと。
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 カレル橋から見たプラハ城(高い塔は聖ヴィート大聖堂)。
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 カレル端から見たヴルタヴァ川の上流方向。段差が作られているので遊覧船はここでUターン。
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 彫刻の中でもっとも古いと言われる「十字架像(ゴルゴダの丘で磔にされたキリスト像」。
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 旧市街側の橋塔が迫ってきました。間もなくカレル橋を渡りきります。
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 橋の突き当たりに見えるのは、クレメンティヌム(下)。
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 現在、クレメンティヌムは国立図書館となっている(11世紀に建てられた教会で、その後、修道院=左上の写真=や神学校、天文台などに利用された歴史がある)。
 クレメンティヌムの前から見た旧市街側の橋塔(ゴシック様式の建築として名高い)。
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 有名な天文時計のある旧市街広場に向います。
 (つづく)




おもしろチェコ語
 現地ガイドの塚原さん、案内のついでにチェコ語のことを少し話してくれました。
 「こんにちは」は「ドブリデーン」、「丼でーん」と発音しても通じるよ、と。
 「さようなら」は「ナスクレダノウ」で、「茄子くれたの?」と覚えれば良いとのこと。
 「ありがとう」は「ジュクロヴァーム」。日本語で「十九番~」と言っても通じるそうだ。




 ボランティア関係の文書を届けに、Sさん宅に伺ったら、デュランタ宝塚が咲き始めていました。
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病院で検査を受けていましたので、コメント欄を閉じています。

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