生存者がいた「すげの沢」へ

御巣鷹山慰霊登山ツアー(3)
 10月29日、労組OB・OG会で御巣鷹山慰霊登山を行い、会員他21名が参加しました。
 御巣鷹の尾根は紅葉が始まっており、X岩の南側では真っ赤な紅葉が見られました。
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 昇魂之碑から少し尾根を登り、急斜面を北にトラバースします。下は御巣鷹の尾根の案内図です。
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 区画番号7Dには、国民的歌手であった九ちゃんこと故大島九(ひさし)さんの墓標が立っています(左下)。なお、阪神タイガース球団社長であった故大埜肇さんの昇天の地は8F区画だったように記憶しています。
 九ちゃんの墓標の右手には、私がご遺族のお世話を担当させていただいたご被災者とその婚約者(英国人ご被災者)の墓標があります。持参した花を飾らせていただき、改めてご冥福をお祈りしました(右下)。
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 所々に墓標が立つ道を北に進みます。
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 4B区画あたりから林になり、林の中をジグザグに下っていきます。6年前に来たのは9月末だったので、アキノキリンソウやシロヨメナが咲いていましたが、今回はスミレが一輪見つかっただけでした。
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 ぐんぐん高度を下げます。
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 すげの沢に到着しました。胴体後部がこの辺りまで滑り落ちてきました。
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 すげの沢では4名の生存者が確認されましたが、写真中央、人が集まっている辺りで川上慶子さんが発見されました。
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 すげの沢でも大島さんや渡辺さんから説明を聞き、下山しました。
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 すげの沢の清らかな流れです。
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 (つづく)



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日比谷公園ガーデニングショー2015にて(3)

フォトスポット花壇
椅子に座り、記念写真をどうぞということですね。

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この左右ではハンギングバスケットの作品展が行われていました。

 10月24日撮影
 (つづく)

この記事へのコメント

  • 無門

    こんにちは

    お世話された婚約者の墓標
    万感胸に迫るものがあるのでしょうね
    2015年11月02日 18:26
  • river

    事故当時墜落現場が特定できずに時間が経過してしまいました。その後、マスコミは御巣鷹山と報道しました。しかし本当は高天原山(たかまがはらやま)に続く尾根でした。その後、ここは上野村の黒沢村長が御巣鷹の尾根と命名されましたが正確を期するマスコミもいい加減な報道をするものだと思ったです。
     生存者は四名でしたが事故発生から救助開始まで14時間、もう少し早く出来なかったのか今でも疑問です。
    2015年11月02日 18:54
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    お亡くなりになったカップルの写真は後年目にする機会がありましたが、墓標を建立された父上と、藤岡市で過ごした10日間が思い出されます。
    2015年11月02日 21:01
  • 長さん

    riverさん、コメントありがとうございます。
    当時の警察には正しい目撃情報も寄せられていたのですが、多数の除法を総合的に判断できる部門がなかったのが残念です。今なら正確な位置がGPSで割り出せますが、当時はそういうシステムもなかったですからね。情報が少なかったので、上野村の消防団もかなり苦労して現場に到着しています。
    2015年11月02日 21:06
  • なおさん

    墓標があちこちにある山道を歩かれたのですね。関係された方々には、30年もあっという間だったことでしょう。生存された方がいた、というのは奇跡的と当時ずいぶん話題になりましたよね。

     日比谷の花壇ではフォトスポットなるものもあるのですね。記念写真撮るひとにはうれしい場所でしょう。
    2015年11月02日 21:32
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    30年はあっという間でしたが、JALは事故の教訓を忘れたかのように、儲け本意に走っているように感じます。
    場所が早期に特定できていれば、もっと多くの生存者を助けられたでしょうに・・・。
    フォトスポットはガーデニングショー開催中のサービスでした。
    2015年11月02日 22:04
  • shuuter

    御巣鷹の事故での生存者 4名おられたのですか。
    現在も元気にすごされているのでしょうね。

    なくなられた人 生き残った人 いずれも運命なのでしょうか。

    私 1日Ⅰ日大事に過ごしたいです。
    2015年11月02日 22:19
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    4名の方たちはお元気なようですよ。
    運命と言ってはお気の毒です。誰もが納得できるような形で原因究明がされるべきなのですが、日本の事故調はあきらめてしまいました。大きな圧力があったとしが思えません。
    2015年11月02日 23:01
  • eko

    事故の犠牲者の墓標が立つ山道を歩かれたのですね。慰霊登山を希望されるご遺族が登れるように整備されていますね。
    4名の生存者がいらしたことは当時奇跡の様な思いで、TVの救出劇を見ていました。もう30年の時が流れたのですね。

    フォトスポット花壇が作られていて良いですね。
    2015年11月02日 23:23
  • 長さん

    ekoさん、コメントありがとうございます。
    私が6年前に登った時より更に道が整備され、手すりが付いているところも多くなりましたので、かなり歩きやすくなったと思います。生存者が4名確認されたのですが、墜落場所がもっと早く確定できてればもっとお命を救えたでしょうに…。
    2015年11月03日 00:01
  • 信徳

    お早うございます!
    御巣鷹の尾根、すげの沢、30~45度の坂道、手すりが無いと年寄りには二次災害が起きてしまいます。
    良く手入れされたんですね、それにしても30年は早いですね。
    2015年11月03日 06:34
  • しおん

    おはようございます。
    川上慶子さんがヘリに吊り上げられていく姿は今でも鮮明に思い起こすことができます。髪の毛がふっさりとしたお顔も想い出されます。そのくらい驚きの光景でした。
    今も色んな思いの中で日々を送られていることでしょうね。
    もっと早く墜落場所が判明し 整備された道があったならば もっと沢山の命が助かったことでしょうね。
    もうすっかり落葉が進んだ御巣鷹ですね。
    2015年11月03日 08:31
  • 寿々木

    墓標巡りご苦労様です。坂本九ちゃんの上を向いて歩こうが耳に残っています。
    2015年11月03日 08:42
  • すーちん

    今日は
    救出される映像目に浮かびます
    看護婦さんになられたとか
    あの事故でよく生存されて
    ましたねー
    2015年11月03日 09:50
  • 長さん

    信徳さん、コメントありがとうございます。
    ここまで登っていらっしゃったご遺族にお怪我があったら困りますので、年々登山道は整備されています。今から思うと、30年はあっという間ですね。
    2015年11月03日 13:31
  • 長さん

    しおんさん、コメントありがとうございます。
    当時小6だった慶子さん、もう42歳くらいでしょうね。ヘリでつり上げられる場面は良く放送されましたが、発見場所からヘリポートまで運び上げるのが大変だったそうです。
    当時の位置測定はアナログの世界でしたが、今なら正確な位置が把握でき、もっと多くの生存者を救出できるでしょう。
    2015年11月03日 13:40
  • 長さん

    寿々木さん、コメントありがとうございます。
    九ちゃんの墓標には今もお供え物をもって登ってこられるファンの方がいらっしゃいます。
    2015年11月03日 13:42
  • 長さん

    すーちんさん、コメントありがとうございます。
    飛行機の墜落事故で生存者がいたのは奇跡に近いでしょうね。
    慶子さんは看護婦になった後、結婚されたそうです。
    2015年11月03日 13:45
  • りりい

    墜落事故から、もう30年も経ったなんて、信じられない思いです。ご遺族の方々のための登山道もよく整備されましたね。
    2015年11月03日 16:32
  • 無門

    こんにちは

    皆さん心を込めて
    慰霊登山されたことが
    よくわかります
    当事者でなければ
    理解できないこともありますよね
    2015年11月03日 16:50
  • nobara

    オオカエデですかね~真っ赤ですね。
    スミレはこの時期は閉鎖花がほとんどですが
    お花にまでなってるのは珍しいですね。
    長さんは事故後すぐにいらしたわけだから
    その分、思いがまた私たちとは違いますよね。

    ハンギングの花バスケットは
    ヒントになりますね♪
    息の長いお花を組むのがいいんでしょうね。
    2015年11月03日 18:44
  • 長さん

    りりいさん、コメントありがとうございます。
    30年って早いものですね。ご遺族はお年寄りも多いですから、登山路の安全確保は必須です。上野村には大変お世話になっています。
    2015年11月03日 19:25
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    私たちが所属した労組は安全問題でも取組みを強めてきましたから、事故後30年といえども、原点に立ち返る意義があります。
    2015年11月03日 19:27
  • はるる

    そうでした。生存者がいらっしゃったのですね。
    本当に驚きました。
    沢の流れが皆様の気持ちを安らかにと流れているようです。
    日々、大事に過ごしたいものです。
    2015年11月03日 20:01
  • 長さん

    nobaraさん、コメントありがとうございます。
    紅葉した葉の形は確認してきませんでした。葉が小さかったような・・・。スミレが咲いているなんて珍しいですね。私たちへのプレゼントだったのかも(笑)。
    ハンギングバスケットの作品は後日投稿しようと思います。
    2015年11月03日 21:12
  • 長さん

    はるるさん、コメントありがとうございます。
    大事故なのに、遺跡的に4名の女性が生存していました。
    すげの沢の流れはそんな大事故を知ってか知らずか、清らかなものでした。
    2015年11月03日 21:19

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