7日目(6/23) アオスタ → ラーゴ・ブルー → チェルビニア → ラ・パリュー → アオスタ(泊) (太字が今回の記事です)
モンテ・ビアンコ(モンブラン)が見える村:ラ・パリューからアオスタの町に戻ってきました。
この旅行記のその39でも書きましたが、アオスタの町は、紀元前25年、この地を制服した初代ローマ皇帝アウグストゥスが、退役兵士3000人を住まわせたことに始まる町で、アルプスのローマとも称されています。町には、ローマ時代の遺跡があちこちに残っています。
左下、この遺跡もローマ時代のものかも知れない。右下、イタリア国鉄のアオスタ駅。
添乗員が気を利かせて、大きなスーパーでツアーバスを止めてくれました。私たちはここでお土産用のワインを安く手に入れました。
一旦ホテルへ戻り、18時半ころ、夕食のレストランを案内してくれるという添乗員と一緒に、町の中心部に向かいました。
ローマ時代の橋で、唯一、現在も使用されている
橋の付近で見たヘメロカリス
こちらは、キンケイギクに、トルコキキョウ・ラベンダー
アウグストゥス帝の凱旋門(紀元前25年)
アオスタの街の目抜き通り(Via S. Ansetmo)
プレトリア門(古代市街の東門、紀元前1世紀)
ローマの円形劇場跡
市庁舎(1839年建造)とシャノー広場
橋の付近で見たヘメロカリス
こちらは、キンケイギクに、トルコキキョウ・ラベンダー
アウグストゥス帝の凱旋門(紀元前25年)
アオスタの街の目抜き通り(Via S. Ansetmo)
プレトリア門(古代市街の東門、紀元前1世紀)
ローマの円形劇場跡
市庁舎(1839年建造)とシャノー広場
添乗員がお目当ての中華料理店はお休み。ならばと、日本料理店に向かいました。
それは、シャノー広場の近くにある「コンチネンタル・バンブー」というレストランでした(HPはこちら)。
右の写真の上3枚は、店の外観と内部。結構混んでました。
左下の2枚は、私たちが注文した寿司ミックスとちらし寿司(盛りつけが面白い)。味は良かったが、経営者は中国人らしく、日本風のというか、アオスタ風の寿司と言うべきか。
寿司ミックスの右は「生きビール」。生ビールならぬ、いきびーると読む。瓶の裏側には「ゆずと煎茶を使った のどごし爽快」と書いてある、訳の分らないビール。後日調べたらオランダ製だった(日本語の公式HPはこちら)。
写真右下は、同席の男性が注文した鰻丼。寿司飯に鰻の蒲焼きが乗っているという、日本では絶対味わえないもの。
口直しに、ホテルの前で咲いていた花を貼り付けておきます。
翌日は、いよいよ観光最終日です。果たして、モンテ・ビアンコは見えるでしょうか。
(つづく)
この記事へのコメント
みっきい
200年前の残っている橋は今は川の水は無いのですね?
ホテルの前の花、ナンテン・藤ですか?アベリア・バラですか?日本と同じで親しみが持てます。
信じています!最後にはモンテ・ビアンコが山容を見せてくれるでしょう!!
GG
歴史そのものが見れるわけですね・・
素晴らしい景色とともに、ローマ人が歩いたであろう橋を渡って今にもその時代に・・なんてことはないでしょうが、行ったことの無い私には信じれない遺跡です。
無門
少し違った日本食
旅ならではの面白さですね
日本人経営だと
外国の方がおいしい場合もありますね
nobara
お食事、変わってるようですが、
私はネックになるやも知れません。胃腸が弱い+気も弱いから・・喉を過ぎないかも (^o^)丿
信徳
ヨーロッパの食事は美味しくないと聞いていましたが最近はアジアからの観光客も多いでしょうし日本食、中華料理なども多いのでしょうね。
長さん
古代ローマ帝国はここがイタリアとフランス、スイスへと続く道の要衝として都市を築いたようです。凱旋門や円形劇場まで作っていたのですから、かなり力を入れていたのですね。
今も残る橋の下には、2000年前、小川が流れていたのかもね。
日本人も知っている花が咲いて、このホテル、日本びいきじゃないかと思えるくらいですよ。
長さん
石造りの文化だからこそ2000年も前の遺跡が残っているのですね。当時は弥生時代だった日本の建築物は木造でしたから、殆ど残っていませんものね。
長さん
中国人の経営で、料理人も中国人らしいのです。彼らが作る日本食ですから、我々日本人から見るとまがい物なんですが、イタリアも日本食ブームらしく、結構繁盛していました。
長さん
2000年前の橋は、道路との関係を見ると、車は通れないようでした。でも、いまだに現役だとうのが凄いですね。
このレストラン、使っている素材は良いし、味もまあまあですが、料理人は本物の日本食を知らないみたいです。
長さん
これだけの遺跡が残されているのに世界遺産では無いのですから、イタリア、恐るべしですよ。
中華料理はどの国で食べても間違いは無いようですが、やはり日本食となると歴史が無いので、まがい物が通用するんですね。
なおさん
NHKの「妄想ニホン料理」の番組に出てきそうな料理がいろいろ出てきましたか。まあ、中国人だから仕方ないかと大目に見てあげないといけないような面白料理なのでしょうかねえ。
ロシアンブルー
ローマ時代の遺跡が点在しているんですね。一部分しか残っていなくても大切に残されているんですね。
街並みがスッキリして、見通しが良いですね。
eko
日本料理とはいえないようなお寿司、美味しければ良かったですね。寿司飯にウナギは合いますか?
生きビールのラベルに日本語が、日本人向けに作っているビールなのですか?飲まれました?お味は如何なものでしょう。
最後にモンテ・ビアンコの全景が見られますように!!
river
長さん
イタリア北西部には火山が無いようですから、大きな地震は無いのでしょうね。
「妄想ニホン料理」、1時間前まで放映していましたね。息抜きのゲームをしていてよく見ていませんでしたが・・・。中国人の料理人が日本料理の写真を見て、工夫しながら作ったような、そんな印象でした。
長さん
イタリアはこうした古い遺跡の保存には力を入れているようです。ただ、中世ころまでは遺跡に使われていた石材を転用して建物を造ったこともあったそうです。
mori-sanpo
巨大な円形劇場跡が2000年後にも残っているのも奇跡ですね。
長さん
現に使用されている橋の下には川があったのでしょうが、2000年分の土が滞積してしまいましたからね。
ネタも良いし、ご飯もちゃんと炊けていました。鰻丼は完食されましたから、不味いものでは無かったのでしょう。
生きビール、日本人専用というわけでも無いらしいです。ちょっと味が薄いような感じです。
長さん
いくらアウグストゥスが優秀だったとはいえ、広大な国土を自分だけで広げるわけにはいかなかったのでしょうね。
7月と8月はシーザーとアウグストゥスが無理矢理自分の名前をつけさせ、9月以降を後ろにずらせたという逸話が残っていますね。でも、本当のところは8月生まれだったからアウグストゥスと名付けられたという説もあるそうです。
長さん
古代エジプト文明から比べれば、古代ローマ帝国の文明は新しいということになりますが、日本の文明から比べると、驚くほど進んだ文明だったのですよね。こうした遺跡が残ったのも石造りの文化だったからなのでしょうね。
月奏曲
なんちゃって和食、日本人から色々聞きますがあれ意外となんちゃってな分ローカルな味覚に合わせて工夫したりしてるので結構地元で侮れなかったりするんですけどねぇ…工夫して受け入れられたならそれは一つの進化形だと思うのです。
長さん
私たちから見れば、なんちゃって和食ですが、最近の日本食ブームで結構人気の店らしいです。なんせ、この辺りの人は本物の日本食を知らないでしょうからね。日本風アオスタ料理としておきましょう。
小梨
長さん
日本食がユネスコ無形文化遺産に登録されたので、世界に広まるのは歓迎ですが、商売にする以上、もう少し日本食について知ってもらいたいなと思います。
はるる
海外の和食、おもしろいです。
長さん
この添乗員、本当に面倒見の良い人で、皆さんが褒めていました。トラピクスでは人気添乗員と言われているそうです。
なんちゃって日本料理ですが、料理のネタは良いので、話のタネになります。
りりい
ギリシャでも寿司飯の上に鰻の話が出てきました(話だけですが)。
長さん
エジプトやギリシアに比べると時代がちょっと若いですが、それでもイタリアは古いものが残されています。バルカン半島、一度は行ってみたいのですが段々年齢的にきつくなってきました。
ギリシアでもなんちゃって日本食があるのですか。