旅行3日目です。駒ヶ根市の公共の宿から出発し、奈良井宿を散策した報告まで済みました。
奈良井宿からは1日目とは逆のコースで帰途につく予定でしたが、車内で「海野宿で蕎麦が食べたい」ととの“お達し”があり、13時過ぎに海野宿の東端にある駐車場に車を止めました。
海野宿は北国街道の宿場町として栄えたところで、南側には千曲川が流れている。
北国街道は、追分宿(現在の軽井沢町追分)で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。
海野宿には、約6町(約 650 m)にわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、非常に賑わいをみせていた。
明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため、養蚕業を主に行っていた。
1986年(昭和61年)には「北国街道」が日本の道100選に選ばれ、1987年(昭和62年)には海野宿が種別「宿場町・養蚕町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 (Wikipeidaなどより)
海野宿の東端には白鳥神社があります(神社の由来等は省略)。
白鳥神社の前から、海野宿を撮ったものです。明治時代に養蚕業が発展したため、建物の多くが新築・改築され、江戸時代の建物様式とは全く雰囲気が異なります。
先ずは、腹ごしらえ。4年前の秋に訪れた福島屋で、「もりそば・くるみおはぎセット」を食べました。くるみおはぎは醤油だれ、韃靼そばのお茶が添えられています。
では、海野宿を西に向かって散策しましょう。道の中央、やや南側に川が流れています。川の石積みは恐らく江戸時代のものでしょう。
養蚕業で財をなした家は卯建を上げました。2階の軒下に張り出しているものは豪華な意匠の脇卯建で、明治時代の様式です。
妻壁が2階の屋根より高いものは江戸時代の様式で、本卯建と言います。
棟には気抜き(小屋根)という構造が見られます。蚕の飼育には保温が必要で、暖炉で燃やした煙出しや温度調節のための窓がつけられています。
コムラサキの実 (小紫、クマツヅラ科)
蕎麦屋さんの店先で
サンザシの実 (山査子、バラ科サンザシ属の落葉低木)
道祖神とハマギク・マリーゴールド・コレオプシス
(つづく)
この記事へのコメント
寿々木
tomi
サンザシの花ですか、歌に「サンザシの花が咲いたよ/赤い赤い花だよ...なんて歌を思い出しました、本当に赤いのですね、サンザシの花は見たことあるかもしれませんが忘れています。
海の宿は しっかり保存されているのですね、このような宿場めぐりをしたいです、 相棒がこの様な事に全然興味なしで いつも駆け足の日本旅行です。
長さんのコメント欄は 変わっていないのですね、 FC・2はどこも変わっていませんでした、なぜでしょうかね?
長さん
昔のお姫様で、現在は我が家の大明神になっていますから、逆らえません(笑)。
なおさん
此処も立派な家が並んで見事です。僕の場合はうだつが上がらない、というのでコマリモノです。
コムラサキや道祖神脇のハマギクも見事でいいですね。
長さん
その歌なら、カラタチですね。北原白秋作詞、山田耕筰作曲の童謡の「からたちの花」で、♪からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ・・・と続きます。
アメリカ人の方なら、日本の歴史はあまりご存じないでしょうから、宿場町に興味が無くても仕方が無いでしょうね。
ブログのコメント制限やパスワード要求などの設定は、各社で統一はされていないようです。各社の方針ですからやむを得ないのではないでしょうか。
長さん
「うん?NO!」と言えれば良いのですがねー(笑)。奥方様には逆らえません。
卯建が上がりすぎると、重くなることがありますから、ほどほどが良いのですよ。
やはりハマギクですね。大株になっていました。
目黒のおじいちゃん
長さん
写真の脇卯建の家はかなり裕福だったのでしょう。壁も塗り壁ですから卯建と併せて、防火設計ですね。
shuuter
初めは防火壁の役目が時代とともに変わっていたとか。
蕎麦屋の飾り 瓶に柿とは これまた面白いですね。
信徳
小諸に住んでいた時代がありましたので千曲川を挟んでのこの界隈と湯の丸高原一帯で遊んでいました。
懐かしい風景が出て来ます。
白鳥神社の前のお店やさん、商売上手でいつもここで足止めさせられました。
river
中仙道の宿場町は他に和田宿、小田井宿なども訪れました。
nobara
我が家は殿の仰せのとおりです((+_+))
でもなんとなく嗜好が似通ってますから助かります。
おなじみ?のお蕎麦屋さんなら安心ですね。
お蚕さんで財をなしたお宅なんですね~
そこら一帯が皆さんそうなんでしょうか。
ハマギク、マリーゴールド、コレオプシス、
道祖神さんの周りは皆さんで宿根のお花が植えてあるのでしょうか・・・いい考えですね。
すーちん
コムラサキが咲き乱れる
川道、散策素晴らしいですね
柿が無造作に活けて有ったり
長さん
卯建は防火と言うより火の粉除けといった機能だったのでしょうが、明治期になり裕福になってくると家の装飾になってきました。
柿の実がついた枝が投げ入れられていましたが、秋らしい趣向ですね。
長さん
小諸にお住まいでしたか。ではこのあたりは直ぐ近くと行った感じですよね。前回(4年前の秋)の海野宿は、このあと湯の丸高原を抜け、四万温泉に泊まりました。
白鳥神社前の商店で、今回も買い物をしていたようです。
長さん
野生のサクラソウをお求めになったのなら、駐車場から直ぐ先の売店ですね。
和田宿や小田井宿はまだ行ったことがありません。riverさんはもしかすると宿場好き?(笑)。
月奏曲
おそばの薬味のところにあるピンクのものはなんですか?
毎度食べ物にしか反応しないでスミマセン(;・∀・)
長さん
優しいというか、仕方なしにというか(笑)。
2回目ですからお馴染みのそば屋とは言えません。今から思うと、他のそば屋差を試した方が良かったかも。
蚕の成育に適した土地だったらしく、明治期に養蚕業で財をなした家が多いようです。
マリーゴールドとコレオプシス、書き加えておきますね。
長さん
コムラサキの実や柿の実がいかにも秋らしいですね。
ドウダンツツジも赤くなり始めていましたよ。
長さん
薬味のピンクのものは確か、赤く染めた大根をみじん切りにしたものだったように記憶しています。一昨日のお昼になのを食べたか覚えていないくらいですから、あてにはなりませんが(笑)。
ポン太
卯建にもいろいろあるのですね。大和にも卯建の上がっている町並みがありますが少し感じが違います。
今も住居として住んでおられるのでしょうか。色々大変でしょうね。
サンザシの実って初めて見ました。
しおん
海野宿は数回行きました。白鳥神社前のお店でしいたけ買ったり・・しましたよ。夏に行った時は メロンにお水をくださいました。 邪魔な電線などなく 街並みが青空に映えていつ見ても綺麗です。
奈良井宿も長く続く街並みが素敵な所ですよね。
長さん
明治期に養蚕業で材をなした家が多く、建物は大きく立派でした。その殆どの家に人が暮らしているようでした。歴史的な町並みを保存するためにご苦労も多いかと思います。
卯建も地域によって意匠が異なるようですね。
サンザシの実って、小さなリンゴみたいですね。
長さん
白鳥神社の前のお店で買い物をされましたか。この建物は保存地区に含まれていないようで、間口いっぱいに商品を並べており、保存地区内の商店と比べ、ここだけが目立ちますよね。
eko
もりそば、くるみおはぎ、美味しそうです。
Tomi-
本場の蕎麦は美味そうですね。
タブレット端末キーボードからのコメントになります。
行き当たりばったり
道祖神も、見るには心が和みます。
サンザシの実にビックリ。
長さん
奈良井宿との大きな違いは道が広いことが挙げられます。これはどううろの中央付近に用水が流れているとこと関係があるのでしょう。昔、福島県の大内宿に行ったことがありますが、ここも同様でした。
長さん
タブレットとキーボードをご持参でしたか。近年はWiFiが使えるので、便利になりましたよね。
長さん
サンザシの実、私も初めて見ました。バラ科なので形はリンゴにそっくりですが、白いブツブツがありました。
隠居GG
是非ロールカーテンを取り付けるようにしたいと思います・・今朝、建築屋に電話して業者を家に呼びました。
日曜大工のお店は蛇口を二か所見てもらうことにしました。
良いアイデアをありがとうございました。
無門
空気も水も澄み渡り
木曽路の秋を感にますね
この風情の中での蕎麦
旅を200%味わってきましたね
オグリ君
また、海野宿のようす懐かしく読ませて頂きました。
ここはUKIUKIでも取材し、想い出多き場所でカミさんも連れて行った場所です。
懐かしい所で、今日の私のBlogでも回想を書いてしまいました。
長さん
信州に行ったら何と言っても蕎麦ですね。それに、名物のくるみおはぎをセットにしました。
長さん
レスが前後してしまいました。申し訳ない。
ロールカーテンのアイディア、採用して頂くことになりましたか。ありがとうございます。
長さん
海野宿レポート、UKIUKIのバックナンバーで改めて読ませてもらいました、2012年9月7日号ですから、まだ暑い頃の取材でしたか。
福島屋のくるみおはぎセットを賞味されたんでしたね。
みっきい
卯建が上がった家々は防火と言うより裕福の象徴みたいなウダツになっていますね。
道祖神とハマギクの風景、柿の実の投げ入れ、コムラサキ等…、いいですねぇ~秋を感じます!
近くでは、旧東海道の鳴海宿の有松の絞り街道にもうだつがあがっています。
長さん
卯建はお金持ちの象徴みたいに豪華になっていったようです。
海野宿は養蚕で栄えましたが、鳴海宿は間の宿・有松と共に絞りの問屋さんが多かったのだそうで、そうした家が卯建を上げたのですね。
ケン坊
卯立にはランクがあるんですね。でも素晴らしい脇卯立や本卯立...初めて見ます。もちろん一般的な卯立しか見たこともありませんでした。
店先の柿の実は鈴なり状態ですね~ 羨ましい>笑<
長さん
卯建にランクがあるかどうか分かりませんが、次第に豪華に、かつ、凝った造りになっていったことは事実ですね。
柿の実はどこからか切って持ってきたのでしょうね。
小梨
長さん
卯建は最初、火の粉による類焼を防ぐための構造だったようですが、次第に装飾的な意味合いが強くなり、お金持ちの象徴となったようです。
りりい
見事な造りですね。
白壁も美しく手入れが行き届いている感じがします。
青空に映えて、より一層立派な感じがします。
長さん
普通の切り妻屋根の側壁(妻壁)は屋根の下になりますが、妻壁を屋根の上まで延長したものを本卯建と言うそうです。
天気が良かったので、白壁も輝いていました。