2月28日、「ひょうたん島&キッズスキースタッフ同窓会」が開かれ、24名が集まりました。
実は私、在職中に小学生を飛行機に乗せて、瀬戸内海の無人島でキャンプをさせたり、北海道でスキー教室を開いたりという企画を1990年から実施していました。企画が終了して14年になるのですが、そのスタッフとして参加してくれた旅行会社、キャンプ指導のベテラン、整備士、客室乗務員、関連会社社員などとの「同窓会」が今も続けられているのです。
今回は、旅行会社側の責任者であったチンさんが65歳で取締役を勇退したお祝いという口実です。
写真は、お祝いの花束を受け取るチンさん(右端)。私が左下に写っています。
当時、スキー教室のお客様で、現在はJALの客室乗務員になっている、たかちゃんが参加してくれました。
「同窓会」が終わった後、寿司屋さんの裏手での記念写真です。
古い写真ですが…。
第2回「JALひょうたん島王国」を伝える、「こちらJALクラブ」(ちびっ子向け機内誌、1992年春号)。見開きの左右ページです(クリックで大きくなります)。
1992年の全員集合写真です。私は後列左端に写っています。
1992年のスタッフです。この中から6名が今回の同窓会に参加してくれました。
「JALひょうたん島王国」の開催場所は、愛媛県中島町(現松山市)の本島近くにある無人島(高島)でした。
日テレが現在放映中の番組「鉄腕ダッシュ」に登場するダッシュ島は、中島町に22ある無人島のひとつで、当時、私たちも開催地として候補に上げたことがあります。しかし、中島町の本島から遠く、子どもたちの安全を考えると無理がありました。
○参加者の記録:(キャンプネーム、所属は当時)
旅行会社:チンさん、正ちゃん 看護師:ざこちゃん
キャンプ指導員:インディアンパパ、かしら、池ちゃん
JAL・関連会社:カブ、しゃもじ、佐恵ちゃん(夫妻)、永ちゃん、
ちかさん、ちーぼー、もぐら、きむ、ペコ、あき、みどり、
ふみお、家さん、あかっちょ、にゃんにゃん、長さん
お客様:たかちゃん(現JAL)
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この記事へのコメント
寿々木
長さん
当時、スタッフが楽しくなければ参加した子どもたちも楽しくないということで運営し、人との繋がりを大切にしていたので、今でも交流が続いています。
shuuter
昔話に花も咲き 明日への希望にもつながりますね。
最近特に人のつながりの大切さ 身に染みております。
なおさん
スタッフだけでなく、その当時参加していた子供が大きくなってこの同窓会に出るようなことがあるとまた楽しいのでしょうね。
みっきい
お仕事として取り組まれたのですね?
そのスタッフの方々の同窓会が続いているとは・・・、ステキなことですね!!
ポン太
長さん
当時20代の若者だった皆さんも今や40代の働き盛り、もっと歳を食った若者もいますが(笑)、こういう世代を超えた交流は楽しいです。
shuuterさんもお仲間を増やしているようですね。
長さん
今は楽しい想い出ですが、当時は大変苦労をした皆さんです。俗に言う、「同じ釜の飯を食う」仲間だったのです。
スキーの教え子との文通が続いていたそうで、その子が客室乗務員になっていたなんて、ビックリでした。
長さん
無人島でキャンプをさせるなんて夢みたいな話がどんどん膨らんで現実のものになってしまいました。当時は苦労しましたが、今でも同窓会が続いているように、楽しい企画だったんですよ。
長さん
参加してくれたスタッフは子供たちの世話やスキーの講習など、朝から晩まで大変でしたが、それなりに達成感があったようです。その体験と思い出が同窓会が続くエネルギーになっている気がします。
eko
昔からのお仲間の同窓会が続いているのは素晴らしいことですね。企画が素晴らしかったのと、集まった人々が素敵だったのでしょう。人とのつながりは大事ですね。
見ているだけで楽しくなってしまいます。
長さん
子供たちからリピーターが出るほど楽しい企画だったのです。保護者なしの企画ですから、スタッフは子供の安全を考えなければいけない厳しいものでしたが、やりがいがあったのも事実。それだけに仲間意識が強まったのですね。
すーちん
素晴らしい企画されていたんですね
子供達に良い思い出一杯残して
あげる事出来たんですね
長さん
初めて親から離れてテントに泊まり、夕方泣き出す子もいましたが、5日ほどで逞しく成長してくれたのです。子供達はもちろん、親御さんからも好評でした。
nobara
さすがに長さん!お若いですね~
今も溌剌となさっていますけれど・・
頑張ってた時代のスタッフ同窓会なんて
素晴らしいですね~
いつまでもいつまでも心に残るでしょうね。
その時の参加者が今は客室乗務員~☆
なんて素敵なお話なんでしょう
ケン坊
こういう集まりが本当の意味での”同窓会”のような気がします。
20数年前の同窓が一堂に集い、当時の苦楽を供にした仲間だけに、想い出話も尽きないでしょうね。
年齢層もいろいろで話題には事欠かないのでは...
バク
皆さん 輝いている、、、
楽しそう
目黒のおじいちゃん
mori-sanpo
企画が終了してから14年を経ても、いろいろな分野のスタッフの人達が集うのは、苦労以上に楽しみの方が多かったからでしょうね。
長さん
20数年前の写真ですから、まだ頭の毛も真っ黒(笑)。
この頃は体力もあり、充実した仕事をしていたなーと思います。
同じ釜の飯を食って苦労した仲間、世代を超えた団結力がありますね。
私は子供たちと直接接しなかったんですが、リーダーの中には連絡を取り合っているものもいるようです。
長さん
スタッフはその年限りでなく、数年続けてくれた人もいますから、少しずつダブっている時期があります。それも同窓会を長く続けてきている理由の一つかも知れません。
長さん
広島県は愛媛県の向かい側ですね。中島町の人たちの語り口、広島弁に通じるところがあるようです。
長さん
子供たちをキャンプさせた無人島はしまなみ海道の島々から見ると南西方向に50キロぐらいだと思います。今、ダッシュ島で船屋を作っていますね。
長さん
苦労以上に楽しみが多かった…仰る通りです。子供たち向けですからスタッフが楽しくない企画にはしたくなかったのです。スタッフの精神状態は子供たちにすぐ見破られますからね。
無門
素晴らしいお仲間ですね
きっといつまでも
続いて行かれることでしょう
1990年はバブル崩壊前後
私もこの年から
4年間海外勤務が始まりました
日本経済の曲がり角でしたね
長さん
1990年頃からJALは地方路線の拡大を図り、集客策に苦労していた時代なんです。JAL路線の知名度アップや社会貢献活動PRも兼ねたものでした。
Flyingfish