熱帯植物館の周囲で咲いていた花たちです。
ゴクラクチョウカ (ゴクラクチョウカ科)
管理棟の右手裏、戸外で見ました。かなり耐寒性があるようです。
別名ストレリチア
サフラン (アヤメ科)
花期10~11月。
カロライナジャスミン (マチン科)
花期は4~7月ですから、戻り咲きですね。
クロガネモチの実 (モチノキ科)
管理棟の右手裏、戸外で見ました。かなり耐寒性があるようです。
別名ストレリチア
サフラン (アヤメ科)
花期10~11月。
カロライナジャスミン (マチン科)
花期は4~7月ですから、戻り咲きですね。
クロガネモチの実 (モチノキ科)
11月9日撮影
次回から、温室で咲いていた花を紹介します。
(つづく)
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南イタリア旅行記(40) 10月3日(木) その3
世界遺産・マテーラのサッシ(1)
アルベロベッロから西へ約80Km走行し、世界遺産のある街・マテーラに到着しました。
左下は小さな公園ですが、「MATERA2013」と書かれた垂れ幕が見えます。この垂れ幕、町のあちこちで見ましたが、何かのイベントがあるのでしょうか。バスを降りたのは11時20分頃、トラモンターノ城(右下)の近くでした。
マテーラの街中を歩く一行です。右下、正面はバジリカータ州国立中世・近代美術館「ランフランキ館」で、17世紀の建物です。
ランフランキ館の左手に回り込むと、世界遺産のサッシ(サッソ・カヴェオーソ地区)が一望できました。
サッシとは、岩壁を意味するサッソの複数形で、洞窟住居のこと。
グラヴィナ渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在している。8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれる。
マテーラは、一時、バジリカータの州都として繁栄期を迎えるが、1806年にポテンツァに州都が移された後は衰退。その後、サッシは長らく小作農民の住居であった。
南イタリアの貧しさの象徴とみなされ、また、不衛生で不便な暮らしが嫌われ、廃墟と化したが、1970年代以降、建築学上貴重なものとして省みるようになり、政府が保存に乗り出す。
1903年、世界遺産登録後、人が戻り始め、現在は洞窟住居の5分の1ほどが再利用されている。 (Wikipediaより要約)
人々が洞窟住居を捨て去る前の生活を再現した「グロッタ家」を見学しました。左下の写真で、左手の岩に彫られている。右下は入り口。
ちょっと待たされたのは、日本語のテープを流してくれるためだったのです。
サッシ地区の見学を続けます。
(つづく)
この記事へのコメント
ポン太
ゴクラクチョウカ、近所の八十を越した元気なお婆さんが大きな植木鉢で育てておられます。家の軒下でも咲くのですね。
なおさん
サッシというとガラス窓かと思うと、洞窟住宅でしたか。日当たりはあまり良くないのでしょうが、雨風はしのげるのでしょうね。しかし、家畜と一緒では匂いがタイヘンでしょうねえ。日本でも東北などでは牛や馬と同じ屋根の下で暮らす造りのうちがありましたよね。
すーちん
洞窟住宅、岩をくり抜いて
物を置いて有る様で
家具が要りませんね
冬暖かく、夏は涼しいんでしょうね
寿々木
極楽鳥花が本州の戸外で咲いていましたかビックリです。カロライナジャスミンがまだ咲いてますか、当地ではご近所の庭にハゴロモジャスミンが咲いています。
長さん
かつては貧しい人たちの住居だったのですね。そんな人たちがすがるものといえば宗教のちからだったのでしょうね。
今は世界遺産に指定され、多くの国からかんこうきゃくがおとずれており、日本人も多いです。
極楽鳥花は耐寒性があるものが作られているようですね。
長さん
我が家の近くでもゴクラクチョウカが咲いているのを見たことがありますが、それはまだ暑い頃。未だに咲いているところを見ると、耐寒性が次第についてくる植物なのでしょう。
サフランの食紅は高価らしいですね。ひつつの花からわずかしか取れないからでしょうね。
イタリア政府が貧困の象徴だとしてサッシから新市街に移住するよう命令したくらいですからねー。
長さん
住民の工夫ともいえますが、家具が買えないほど貧しい生活だったということでしょうか。
南イタリアですから冬でもそれほど冷えない土地なのでしょう。
長さん
洞窟住居の前面は普通の家と同じような感じです。
秋が深まったのにゴクラクチョウカが咲いていてビックリです。
ハゴロモジャスミンがまだ咲いているというのもすごいですね。
みっきい
こんな南イタリアも見たかったなぁと思います。
くろがね餅が街路樹になっていて、まだ実は赤くなっていませんが、赤くなったら…、ヒヨドリやムクドリが食べに来ます。食べごろをよく知っているんです。
nobara
世界遺産というのは実際の生活するには不便な物なのかも。こうやって保存してあると体感できていいですね。いやぁ~いろんな文化があるものです。
ゴクラクチョウカは実にぴったりのネーミングです。
鳥のようにしか見えませんものね。
孔雀の頭の用にも見えます (^o^)丿
mori-sanpo
岩窟住居は、外観とは想像できないほど内部は広いんですね。8世紀から13世紀にかけて、修道僧が洞窟住居を構えたのが始まりですか。
長さん
南イタリア3州は農業以外にこれと言った産業はなく、貧困が続きました。そんな歴史が世界遺産になるなって皮肉なことと言えますね。
秋は実がたくさんなる季節、鳥たちも食べ頃をよく知っていますね。
長さん
洞窟住居の中は意外に広いのです。これなら窒息することはないと思いますが、換気は良いとは言えず、家畜の臭いなども混じった生活だったんでしょうね。水ももっぱら天水に頼る生活だったようで、地下に貯水槽が作られていました。
ゴクラクチョウカは鶏冠と嘴にも見えますね。
長さん
今頃ゴクラクチョウカが外で見られるとは思いませんでした。この温室は都の焼却工場から出る熱を利用していますが、この地下に熱伝達用のパイプがあるのかも知れません。
太古から洞窟住居が使われてきましたが、自然ではなく岩をこれほどまで広く穿つのは大変だったことでしょう。
tomi
この花 はゴクラクチョウの花ですか、こちらでは フエニックスと呼び LA市 の 市の花です。
さてイタリア旅行益々佳境に入りましたね、私はクルーズばかりですから中々陸上の奥までは行けません。
この洞窟は 丁度 Mesa Verde と言いますところに昔インデイアンが住んでいた事が有ります住居跡と同じですね、未だにこの Mesa Verde に住んでいた人々は何故に居なくなったか研究中です、、どこの国にも何世紀か前に住んだ人類が居ると言います歴史が残っています。
この シシリア島 に行くとき イタリー半島とシシー島の間のメッシナ海峡を私達のクルーズ船が通りました、あまり狭いので心配で甲板にでてみていましたが パイロット船が曳航してゆきました。
shuuter
冬期の暖かいのですね。
大阪市の長居植物園ではいろいろな椰子の木が植えられていました。市街地は冬でも気温が高いようですね。
洞窟の住居 いろいろ知恵を絞って生活したようですね。
Tatehiko
ケン坊
ゴクラクチョウカはいつ見ても、カンナと同じく力強い花だなという印象を持ちます。以前、葉がカンナに似ていたので仲間かと思っちゃいました。
eko
カロライナジャスミンは咲く時期を間違えましたか。
世界遺産のサッシの景観は素晴らしいですね。
外観で見たより中は広いですね。でも家畜と一緒というのは匂いが気になります。
世界遺産に住み保存するのは大変でしょうね。
無門
ヨーロッパの
石造り建築の原点は
洞窟住居ではないかと思いますが
どうなんだろう
shizuo
日本語のテープでガイドの「グロッタ家」。
家畜と一緒の生活、雨水を飲料水…、「へぇ~」の連続。
↓待っていたかのように現れ…、「まだかな~」と陽子さん。
特別な思いがしますよね、イタリアでお会いする日本人。
長さん、やっぱり気になりますね~。
寄せ植えのアジサイなどるんですね、に^^。
長さん
夢の島がゴミの島だったのは昔の話、今は、グラウンドや公園、植物園、それに、ゴミ焼却場となっています。
極楽鳥花はフェニックスと呼ばれているんですか。フェニックスは、日本では不死鳥のことと理解するのが一般的です。
アメリカインディアンも洞窟住居で暮らしていた時代があるようですね。
メッシーナ海峡は狭いですから、大型クルーズ船は通行するのが大変なのでしょうね。
長さん
ゴクラクチョウカが小海で今頃咲いているのは初めて見ました。温室はゴミ焼却場から出る熱を利用しています。この土の下を熱パイプが通っているためかも知れませんよ。
長さん
南イタリアは石灰岩台地で、大きな木がないので、石の家が自然です。大昔は自然の洞窟を利用していましたから、その延長線上にある住む工夫かも知れませんね。
長さん
ゴクラクチョウカとカンナ、確かに葉の形は共通するものがありますね。橙色というイメージも共通かも知れません。
長さん
花の神様は鳥と間違えてこの花を作ったのでしょうか(笑)。
カロライナジャスミンは春から夏にかけて咲きますから、もう完全に狂い咲き。
洞窟住居は意外に広かったです。家畜と一緒ですから、屎尿の処理はこまめにしていたんじゃないですか。
長さん
原始時代から洞窟に住むというのは一般的だったような気がします。平地に住むのは農耕が発展してからですよね。
長さん
所変われば品変わると言いますが、住居も環境によって大きく変わりますね。
狭い街でも商売をするにはそれなりに研究と工夫が必要なんでしょう。