ポンペイ遺跡(3) 秘儀荘

南イタリア旅行記(15)  9月29日(日) その7
 ポンペイ遺跡は広大で、じっくり見るには1日必要だそうです。ツアーですから、ほんの一部しか見ることが出来ません。
 遺跡の北西の方に進と、車道の中央にドクロを模した石がありました。ここから先は墓地の区画になるそうで、お墓通りとでもいいましょうか。
画像画像

 当時の赤い漆喰が残るドーム形の墓や、身分の高そうな人の墓など様々。
画像画像

 ポンペイ遺跡の北西角を出外れ、800mほど歩いたところに秘儀荘と名付けられた遺跡があります。瓦葺きの屋根は発掘後復元されたものでしょう。
画像

 秘儀荘の列柱です。右の方に続いているのですが、この先は農家が立ち退かないので発掘できていないそうです。
画像画像

 この建物は紀元前2世紀頃作られたものを、紀元前70~60年頃豪邸へと増改築され、農業管理会社の所有であったそうです。
 中庭(ロビー?)の周囲に残るフレスコ画です。フレスコ画は増改築時に書かれたものだそうです。
画像

 上の写真の左側部分です。石の折れ戸があったようです。
画像

 上の写真の背後に食堂があり、食堂から一つ部屋を隔てて、女主人の居間があります。
 秘儀荘と名付けられたのは、「ディオニソスの秘儀」への入信の様子を連続的に描いたフレスコ画に由来します。ディオニソスとは、ギリシャ神話の酒神で、ローマ神話ではバッカスにあたります。
 背景に使われている赤色は「ポンペイの赤」と呼ばれる有名な色だそうです。
画像

 上の写真の右に繋がる部分です。中央の、身体を斜めにした人物がディオニソスだそうです。
画像

 秘儀荘を南側から見たところです。見学を終えた一行が出てきます。食堂の正面にはアーチ形をしたテラスがあり、ナポリ湾がよく見えたそうです(現在は土産物屋があり、見えない)。
 上の壁画がある女主人の居間は緑の板戸がある奥です(板戸は直射日光から壁画を守るためらしい)。
画像画像

 これでポンペイ遺跡の見学を終え、バスの待つ所まで歩いて行きますが、途中で見かけたフジと、デプラデニア(マンデビラ)の花です。
画像画像

 これからナポリ港に向かい、シチリア島へ渡るフェリーに乗ります。
 (つづく)

この記事へのコメント

  • ポン太

    「ツアーですからほんの一部しか見ることができません」といってもその一部がすべて強烈な印象を受けますね。ドクロの石から先はお墓通りとか、。立派なお墓が残っているのですね。秘儀荘、何やらいわくありげな名前ですね。壁に書かれたディオニソスの秘儀という絵もちょっと不気味で怖い感じがします。
    2013年10月23日 23:09
  • 行き当たりばったり

    今晩は。なんともまぁ、すごいところですね。これらの絵は修復されたのでしょうか、それとも復元?何れにしても、こういう絵がたくさん描かれてあったということが、驚くべきことです。全くわかりませんが、宗教的な意味もあったのでしょうかね。
    2013年10月23日 23:16
  • 長さん

    ポン太さん、コメントありがとうございます。
    ポンペイ遺跡は興味ある場所が多かったです。もっと広く見て回ると色々面白いところがあるそうです。
    秘儀というのは、後世につけた名称ですが、フレスコ画はとても綺麗に残っていました。
    2013年10月23日 23:25
  • 長さん

    行き当たりばったりさん、コメントありがとうございます。
    このフレスコ画は発掘されたそのままの姿らしいです。よくこんなに綺麗な状態で残ったいたものだと思います。
    当時の古代ローマ帝国は、壁画に描かれた宗教を禁止していたので、秘儀としたようです。
    2013年10月23日 23:28
  • なおさん

    秘儀荘とはまたずいぶんと凄い名前ですので、どんなことをするところなのか?といろいろ妄想をたくましくするようなところですね。宗教絵を禁じていたということなのですか。フレスコ画よく残っていますね。やはり空気に触れないという保存状態がよかったのでしょうか。日本でいうと高松塚の古墳の壁画のようなものでしょうか。じっくり1日みて居たいでしょうが、ツアーではそうもいきませんねえ。
    2013年10月24日 05:58
  • すーちん

    お早うございます。
    ポンペイの遺跡一日でも見きれない
    でしょうね
    壁画の赤に思わず目が奪われ
    ますね
    2013年10月24日 07:06
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    当時、禁止されていた宗教の儀式を壁画にしたということだそうです。ローマの権力も個人宅までは及ばなかったということでしょう。こんなに素晴らしいフレスコ画が残っていたのは奇跡的です。一瞬にして空気が遮断されたのですね。
    2013年10月24日 08:05
  • 長さん

    すーちんさん、コメントありがとうございます。
    ポンペイ遺跡はかなり広いです。御多分に洩れず、円形競技場もあるのだそうです。
    フレスコ画は見事なものです。特に赤が綺麗に残っていました。
    2013年10月24日 08:08
  • 寿々木

    ポンペイ遺跡の墓地ですか、立派な壁画もあるんですね。マンデビラが咲いていましたか、気候が暖かなんですね。当地では冬は温室で過ごすようです。
    2013年10月24日 08:32
  • nobara

    ポンペイの遺跡群、まだ発掘できないところもあるのですね~ 農家の方も生活が掛ってるから大変ね。上野の博物館は相当のモノが来てたという思いがありますが・・赤が残ってるって凄い、普通は赤から劣化していきますよね~日本の壁画と違って結構丈夫なんでしょうか・・・
    藤がさいていたのですか?
    あまりに和的なのでイメージがわかないです。
    2013年10月24日 08:59
  • 長さん

    寿々木さん、コメントありがとうございます。
    ナポリ民謡オーソレミオ(私の太陽)に歌われているように、地中海性気候は洋行にあふれ温暖なんですね。
    2013年10月24日 09:27
  • 長さん

    nobaraさん、コメントありがとうございます。
    移転先はありそうなものですが、何か立ち退けない事情があるのかも知れません。
    当時の赤が残っていると言う説が有力ですが、火山灰の熱で元の色(黄色)が変色したんだという説が2年前に登場しています。
    フジは日本固有種ですものね。和のアサガオそっくりな葉を持つ花も見かけました。
    2013年10月24日 09:38
  • mori-sanpo

    ポンペイ遺跡の秘儀荘、「ディオニソスの秘儀」のフラスコ画が、そのままの色彩で残ったのは奇跡ですね。
     当時の文明の高さや、思想、宗教などを知る上での貴重な遺産なんでしょうね。
    2013年10月24日 10:30
  • 長さん

    mori-sanpoさん、コメントありがとうございます。
    ポンペイ遺跡が時を止めて残ったこともそうですが、このフレスコ画が色鮮やかに残ったのも奇跡と言えますね。秘儀荘だけでも歴史的価値は高いですね。
    2013年10月24日 12:49
  • shuuter

    秘儀壮の壁画 美しい紅色で描かれていますね。
    勿論発掘後に複製されたものでしょうが、いいものが残っているのですね。

    高松古墳の壁画にあるものよりさらに古いものですね。
    2013年10月24日 13:03
  • eko

    ツアーだと時間に制限があり、少し残念です。でも素晴らしい遺跡の一部でも見学できてよかったですね。
    フレスコ画の赤色がとても印象的です。鮮やかに残っていますね。秘儀荘名前がミステリアスです。
    フジが咲いていたんですか。イタリアのイメージには合わないような気がしました。
    2013年10月24日 13:34
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    これは2000年前の本物です。当時のままの姿で残されているところに価値があるんです。高松塚古墳より更に700年以上前のものです。
    2013年10月24日 14:09
  • 長さん

    ekoさん、コメントありがとうございます。
    ほんの一部の遺跡を見ただけで、こんなに凄いのですから、遺跡大好き人間にとってはもっと見たいところです。
    フジの花が咲いていたり、日本アサガオが咲いていたり、花好きの好きな人は国を問いませんね。
    2013年10月24日 14:11
  • tomi

    長さん;こんばんは。
    コメント有難うございます、今週と先週末は 病院の検査で明け暮れて 何方のところにも伺えませんでした。
    さて 今までの分全部を見せていただきました、ボンベイは何故か行って居ないのです、悔しいですネ、最初は
    30年前の内陸旅行で ロンドン、イタリー南から北までと
    スイス、フランス と15日以上だったと思います それで
    ボンベイは飛ばされたのかな?
    後は 地中海クルーズ3回でこの場合はあまり内陸に入る事は無く(何分にも一日寄航ですから)。
    長さんの説明でもう再び行きました気分です、これからもお願い致します。
    2013年10月24日 14:19
  • Tatehiko

    ポンペイ遺跡が栄えたころというのは農奴制の時代に当たるのですか?
    古代歴史をこうして観察されて、ヨーロッパの歴史の変遷と現代を見られて、同じ資本主義の時代に生きているのですが、ちょっと考えさせられますね。
    2013年10月24日 16:13
  • 無門

    こんにちは

    たしかにポンペイの赤には
    感動しますよね
    あの時代この絵を描いていた
    画家の姿を想像しながら
    眺めました
    2013年10月24日 20:39
  • 長さん

    tomiさん、コメントありがとうございます。
    病院の検査続きでしたか。それは大変でしたね。
    ポンペイ遺跡ははナポリ港から日帰りで十分見学できますから、次回のクルーズの際はお訪ねになったら如何でしょうか。きっとご満足いただけると思いますよ。
    2013年10月24日 20:53
  • 長さん

    Tatehikoさん、コメントありがとうございます。
    古代ローマの時代は戦争で領土を拡大していた時代ですから、奴隷制度が既にあったようです。そして、頂点に立つ貴族たちへの富の集中が激しかったでしょうね。今はそれほどでもないでしょうが、失業者が多いのは考えさせられます。
    2013年10月24日 21:02
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    この赤が当時のままだったとしたら、素晴らしいものですね。フレスコ画の技術も相当なものだったでしょう。
    2013年10月24日 21:04

この記事へのトラックバック