長野ICを降りると「佐久間象山ゆかりの町」の幟旗を見かけましたが、ここは生誕の地だったのです。
付近の無料駐車場に車を止め、象山地下壕に向かいます。写真は、駐車場から見た象山です。近くに、佐久間象山宅跡や象山記念館がありました。
佐久間象山をさくましょうざんと読んでいますが、地元では山の名も人名もぞうざんと発音します。
事前学習をするため、もうひとつの歴史館・松代に向かいます。途中、マーガレットやエニシダ、ラッセル・ルピナスなどが綺麗でした。
もうひとつの歴史館・松代は象山地下壕の隣にあり、ボランティアの方に説明をして頂きました。
館内は撮影禁止ですが、許可をいただいて「松代大本営周辺図」の部分を撮らせて頂きました。
上の写真、右手の「イ地区 象山地下壕」をこれから見学しますが、政府機関・NHK・中央電話局などに使う目的でした。中央上部やや左に「ロ地区 舞鶴山地下壕」が大本営・仮皇居の予定地でした。現在は、気象庁精密地震観測室(松代地震センター)として使われています。更に左手上に「ハ地区 皆神山地下壕」が掘られていた。
地下壕は昭和19年11月11日から掘削され、終戦によって中止されましたが、当時の金額で1億とも2億とも言われる巨額の費用がつぎ込まれ、6000人とも言われる朝鮮の人たちや多くの日本人が動員されたそうです。
9か月で全長10Km以上が掘削されましたが、労働は過酷を極め、住居も粗末なものだったそうです。
今話題の「慰安所」も作られ、朝鮮の女性数名が連れてこられたといいます。 (歴史館のパンフレットなどから)
象山地下壕の説明と、入り口に立つ私です。長野市が管理し、見学は無料、ヘルメットを貸してくれます。
地下壕の写真です。広いところは幅4m、高さ2.7m。
右下は壕内にあった地下壕の案内図です。赤線が公開部分で全長約500m。マス目の長径が50m、短径が25m。
地下壕入り口付近で見かけた花です。
アカバナヤエサンザシ(赤花八重山査子)、バラ科サンザシ属の落葉低木。
名前がわからず、掲示板のお世話になりました。
ヨーロッパ原産のセイヨウサンザシの園芸種だそうです。
葉に特徴があり、枝にトゲもなく、とてもバラ科には見えません。
アカバナヤエサンザシ(赤花八重山査子)、バラ科サンザシ属の落葉低木。
名前がわからず、掲示板のお世話になりました。
ヨーロッパ原産のセイヨウサンザシの園芸種だそうです。
葉に特徴があり、枝にトゲもなく、とてもバラ科には見えません。
サンザシと知って思い出しました。寿々木さんが5月10日に投稿されていたもの(こちら)が同じものですね(写真12枚目、13枚目)。
地下壕見学の後、山寺常山邸(松代藩160石取り中級武士の邸宅跡)などを見学しました。
山寺邸の長屋門です(松代城下に残る最大のもの)。庭園には鯉のぼりが・・・(こちらでは旧暦で祝うようです)。
姨捨の棚田に向かいます。
(つづく)
この記事へのコメント
なおさん
今では有効利用されているということで、良いですね。資料館もあるのですね。
次は姥捨山の棚田ですか。夜ですと水が張られると田毎の月が見られるのでしょうね。
行き当たりばったり
のぶちゃん
長さん
本土決戦に備えて作り始めたそうですが、天皇や軍中枢部だけが助かれば良いという壮大な無駄ですね。昭和天皇も後年、無用の長物と言われたらしいです。
自身研究以外には使われていないようですが、ワインの貯蔵庫やキノコの栽培などに向いているかも。
長さん
ここは地質学的にも岩盤が硬いところで、爆撃の被害が及ばないだろうということで決定されたようです。ダイナマイトを大量に使ったそうです。
長さん
昔、松代群発地震が発生し、地震観測所や大本営跡のことがニュースになりましたね。
ポン太
nobara
出かけたことはありませんでした。
佐久間象山の生誕地だったのですね。
ここにも今話題のコトがあったのですね。
過去の歴史に学びませんとね。
八重のサンザシ、グラバー邸の庭にあり
とても綺麗だったのを思い出しています。
旧暦の鯉のぼりも登らないで
渡してあるのですね。
若葉に映えて美しいです。
Tatehiko
太平洋戦争を継続し続けるために、地下壕に皇居や大本営を移す、暗闇に無燈で車を走らせての訓練を度々やっていたという証言を聞きました。
地盤が軟弱なため、随所で陥没していました。
戦局がひっ迫をしていることを自覚してのことでしょうが・・・侵略戦争を天皇自身が去らなく国民を犠牲にして続ける決意をしていたことを示す遺跡でもあります。。
安易な歴史の読み違えには気を付けたいと思いました。
mori-sanpo
1室でも具体的な空間ができていれば、もっと別な印象を持ったかもわかりませんが、一般の人たちへの竹槍訓練と同様、当時はいかに狂気に覆われていたかということですね。
信徳
長さん
今から見るとばかげた無駄遣いですね。当時の軍部は敗戦を自覚しながら、国民を欺き続け、天皇家と軍中枢部だけが助かれば良いと考えていたのでしょう。
長さん
地下壕だけ見るのでは理解が不足するので、歴史館も見学しました。時間が許せば佐久間象山の記念館も見てきたかったです。
鯉のぼり、次に行く棚田でも横に渡してありました。このあたりの習慣かも。
長さん
岩盤自体は硬い岩石だそうですが、壕内には亀裂が入っている場所が確かに多かったです。鉄骨・鉄板で支えてある部分が崩れたところでしょうか。
狂気の軍部の考え方を今も踏襲している政治家がいることに恐ろしさを感じます。
長さん
壕の公開部分は何にもないトンネル状態ですが、舞鶴山地下壕の皇室用部分は住居も完成しており、現在は気象庁の碑地立ちが利用しているそうです。歴史館にそれらの写真や資料が展示してありました。
長さん
太平洋戦争を始めたこと自体、今考えると狂気の沙汰です。自分たちに都合の良い情報だけを取り入れ、正確な判断が出来なかったのですね。こんな間違った思想を今でも礼賛する人たちがいるのにも驚きです。
寿々木
戦後は嘘つきの代名詞でしたね。
ケン坊
象山先生の生誕地とは...佐久の佐久間? じゃ無いですよね。山の名前まで象山とは恐れ入りました。初めて知りました。
(自分達に都合の良い)偏った知識・情報を鵜呑みにした政策は昔も今も相変わらずって感じがします。
評価は後の人たちが行うもの...美化されるものもあれば、背景も知らずにただこき下ろす人もいます。
eko
莫大な費用をかけて、今思うと、戦争という狂気に狂っていたとしか思えません。戦争末期の遺物を見るということでは意義がありますね。
松代地震センターとして活用されているのは良いですね。
アカバナヤエサンザシ、始めて見ます。葉がバラ科には見えません。
新緑に鯉のぼりが映えていますね。
hanasaku
大本営跡・・・地下壕
う~ん、戦争の傷跡でしょうか。
あの広い地下壕は人の手で掘られたのですね。
不戦の誓いの碑が胸を打ちます。
莫大な費用と悲しみで掘られたのですね。
今でもこうして残されているのを知りませんでした。
教えて頂いてありがとうございます。
shuuter
アカバナヤエサンザシ 初めてです。
長さん
今の若い人はご存じないと思いますが、大本営発表は嘘つきの代名詞、そういう時代がありましたね。
長さん
象山という山の名前が先にあって、佐久間象山の方は後からつけた号なんですよ。
侵略戦争や封建思想、とっくに評価が下されたものなのに、いまだにこれを持ち出す人がいますね。
長さん
今更戦争の反省でもないのですが、あの狂気を肯定する人たちが世間を賑わせているのには腹が立ちます。
アカバナヤエサンザシはサンザシの種類とはとうてい信じられません(笑)。
長さん
壮大なる過ちの証拠がここにもあるということですね。
地質学的に固い岩盤だから爆撃に強いということでここに決定されたのですが、掘り進むには多くの犠牲者が出たようです。
長さん
軍部の判断は戦争を始めたときから判断を誤っており、その上塗りをしたために、多くの国民を不幸に陥れたのですね。
shizuo
切って、ほぐして、出来上がり~♪
よかったですね、全工程をジックリ楽しく蕎麦打ちを^^。
わたしも結構自負してるけど、脱帽!凄いです。
楽しい2日間でしたね~。
歴史散策学習旅行、
んん、象山地下壕?いつだったかテレビで観たことが…。
よかたですね~、4人さんの旅。
ぶたねこ
善光寺のご開帳の時立ち寄って来ました。
東京から政府・軍・皇居を「疎開」させるために
作ったものですね。
姨捨の棚田も楽しみですねs
長さん
蕎麦打ちのプロの技、しっかり見届けました。といっても、自分で作れるわけではありませんが(笑)。
shizuoさんも旅行の計画をきっちりされる方ですか。
長さん
善光寺のご開帳をご覧になりましたか。松代は善光寺からすぐで、象山は高速道路からも確認できる近さでした。戦争の狂気の証拠をしっかり見てきましたよ。
無門
歴史的遺跡ですね
歴史の負の部分の検証を
今のうちにしっかりやっていくのも
現代人の責務かもしれませんね
長さん
またぞろ戦前の亡霊がウロウロし出しましたから、歴史の教訓を再確認する必要がありますね。