山門の左手前に「不許葷酒門内」と書かれた石柱が立っています。処静院の前にあったものだそうです。案内板は大きくなります。
伝通院は後にお参りするとして、山門の前の広い道へと右折すると、すぐに大黒天を祀る福聚院(ふくじゅいん、文京区小石川3-2-23)です。門を入って右側には鉄筋の幼稚園が建っており、境内は幼稚園の庭という感じです。
霊應山福聚院鎮護寺は安永3年(1774)の開山で、伝通院の山内になっています。本尊は鎌倉時代の作と言われる甲冑姿の大黒天です。大黒天は本堂中央奥の厨子に収まっており、見ることができないので、写真が置かれていました。
左下は、門前に立つ大黒天座像の案内板です(大きくなります)。本堂の向かい側、園庭の道路側にも大黒天が祀られていました。その左はせきどめ地蔵(別名とうがらし地蔵、咳が止まったら唐辛子をお供えするから)です。
次回は、寄り道で、伝通院を訪ねます。
1月9日撮影。
(つづく)
この記事へのコメント
なおさん
とうがらしをお供えするお地蔵様というのも面白いです。とうがらしではむせて、余計咳き込んでしまいそうですが。
寿々木
長さん
ここの大黒天は俵に乗って打ち出の小槌を持った姿ではありませんでした。まるで毘沙門天のような印象ですね。
唐辛子を供えるのは唐辛子が食べられるほど全快したという事でしょうか。
長さん
見慣れた大黒天は大国主命に混淆したものですが、ここの大黒天は戦闘の神様として伝わったものだそうです。
nobara
出てきていますね~~
小石川のそのあたり歴史を感じながら散策するのによさそうです。
甲冑姿の大黒天、意外な感じがしますが
その地その地で微妙に変化するのかしらん。
信徳
あいべん
京都小雪が舞う寒い日です。
そうですね神様平等に御利益与え様か賽銭に
相応な御利益にするか悩みますね(笑)。
今の神様やはりお賽銭の額で差を付けるの
でしょうね(笑)。
無神論者の私でもお賽銭必ず入れてますよ、
100円しか入れませんが(笑)。
大きな神社では10円?です。
長さん
小石川のあたり、歴史散歩も良さそうです。近くには山岡鉄舟旧居跡、永井荷風生育地、幸田露伴宅跡、夏目漱石の菩提寺などがあったりして、文学散歩もできそうです。
大黒天はヒンドゥー教由来の神様ですが、破壊・戦闘を司る神いう側面もあるそうです。
長さん
とうがらし地蔵というのは珍しいですね。干し唐辛子を首に提げていらっしゃいましたよ。
長さん
私も無神論者で、御利益など信じないのですが、こういう時は世の習いに従うことにしています。でも、途中から小銭が切れて後は申し訳ないと拝礼だけでした。これじゃ御利益があるわけがない(笑)。
shuuter
薄日が差し込みます。
日が当たると暖房がいりません。心地よいです。
大黒天 本来戦闘神なのですね、甲胄姿もうなずけますね。
長さん
お宅と同じ環境でPCを使っています。今日は快晴で、室温は18.9℃ですから、暖房は使っていません。
日本の大黒様は大国主命にダブらせていますが、本来は荒々しい神だったのですね。
無門
甲冑を着た大黒様も
珍しいですね
元々は荒ぶる神だったから
案外似合うのかも
長さん
大黒様のルーツを知らないと、甲冑姿の立像は珍しいと感じますよね。住職夫人の説明でもそんなようなことを仰っていました。
hanasaku
怖い顔の大黒様にびっくりしました。
七福神の絵の大黒様は打出の小槌を持ってにこにこしてるのに甲冑姿!
う~ん、叱られちゃいそうです。
長さん
甲冑姿の大黒様を見たら誰でもびっくりしますよね。
日本で見る一般的な大黒様は大国主命と神仏習合して出来た神道の神様ですから、日本に渡来する前はこんなお姿だったのでしょう。
eko
咳止め地蔵様トウガラシをお供えするのですか。咳がとまらなくなるような気がします。面白いですね。
ケン坊
ケン坊が描いていた大黒様のイメージと程遠い気がします。作られた時代背景によって違っているんでしょうね。
ニコニコ顔、福与かな顔 それが大黒様だと思い込んでましたから...! また一つ勉強しました。
長さん
本堂の手前に置かれた写真が甲冑姿ですから大黒さんでは無いと思ったんですが、住職夫人の「これが本来の姿」との説明に納得しました。
唐辛子を奉納するのは、唐辛子が食べられるほど良くなりましたよとの御礼でしょうね。
長さん
日本に伝わった以降の大国主命と習合した姿の方が見慣れている大黒さんのイメージですね。今回、初めて甲冑姿を見てびっくりしましたよ。
花咲か爺
長さん
七福神なら大抵は拝観できるのですが、このお寺の大黒天は鎌倉時代の作と言われるだけあって、特別な日にしか拝観できないようです。
とうがらし地蔵、面白いですね。