江戸時代の面影を残す妻籠宿を歩く(2)

2012長野・岐阜の旅(19) 7月28日(7)
 妻籠宿の町並みを南側から半分くらい歩いてきました。延焼防止の卯建がある家も見られます。 
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 2枚目の写真で、白い卯建あがる家の手前は無料休憩所で、木のボールペンや木曽駒が製作実演中。
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間口の上に長い材木(鴨居?)を使った建築
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 妻籠宿本陣(南木曽町博物館)です。本陣には代々島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣と庄屋を兼務したそうです。島崎藤村の母の生家でもあります。現在の建物は当時の間取り図を基に平成7年に復元されたもの。
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 本陣の向かい側は脇本陣奥谷(おくや)でした。現在の建物は明治12年に建て替えたもので、国の重要文化財になっています。島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」の嫁ぎ先でもあります。
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 妻籠宿はまだ続きます。バスで団体さんが到着しました。込まないうちに引き返しましょう。
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 途中のかき氷屋さんで一息入れました。左は、抹茶小豆の小豆が見えるまで掘ったところ。右側は焦点距離を変えて撮った写真を合成したものです。
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 国道256号、257号を北上し、今夜の宿に向かいます。
 (つづく)

この記事へのコメント

  • hiro

    馬籠宿より落ち着いた感じがしますね。
    先日行った海野宿に似た感じがします。
    今もそこで生活される方にとっては古い街並みを当時の雰囲気のままに保存するって大変なことでしょうね。
    2012年08月19日 14:02
  • 長さん

    hiroさん、コメントありがとうございます。
    湯の丸高原の後、海野宿に行かれましたか。私たちも昨年行きましたが、仰るように、妻籠宿と似た雰囲気ですね。
    住みながら維持・保存するのは色々な困難があることでしょうね。
    2012年08月19日 15:44
  • なおさん

    うだつが上がらない、といわれるとなんだか自分のことのような気がしてしまいますが、妻籠宿にもありましたか。
     こちらの本陣も格式があり、見事なたたずまいですね。

     やはり暑いときは高利貸し……ではなくって、氷菓子のかき氷が良いですねえ。涼しそうで美味しそうでイイですね。
    2012年08月19日 17:40
  • hanasaku

    こんばんは
    卯建ってうだつって読むんですね。
    うだつがあがらないのうだつ?
    どれがうだつ~って探したけど分からないです・・・
    宇治抹茶に白玉も入れて下さい!
    2012年08月19日 19:49
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    妻籠宿は寛永11年(1634)に火災を起こしたことがあり、それ以降卯建や高塀などの防火対策が行われたようです。
    高利貸しは勘弁ですが、暑いと氷菓子が体を内部から冷やしてくれますね。
    2012年08月19日 21:11
  • 長さん

    hanasakuさん、コメントありがとうございます。
    この卯建は、隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、‘うだつが上がらない’のうだつです。歴史が下るに従い、お金をかけて大層立派な卯建をあげるようになったのだそうです。
    白玉ですか、メニューになかったんです。
    2012年08月19日 21:21
  • eko

    やはり、妻籠宿の方が趣がありますね。お金持ちでないと立派な卯建が造れないと聞いたことがあります。防火壁のことなんですね。
    暑い時は氷菓子が一番です。体が冷えて生き返ります。抹茶小豆大好きですよ。
    2012年08月19日 22:38
  • shuuter

    島崎藤村 「初恋」好きな詩です。
    中学の夏期講習で色々な有名な詩 序文等(平家物語の序文、徒然草序段等)など教わりました。
    その中に(初恋)もあり夢中になって暗記いたしました。

    私音痴でカラオケ歌えないのです。
    ただこの(初恋)だけは伴奏なしで歌える曲です。

    今は記憶力ありませんが、中学生の時代に覚えたものは今も記憶していますね。
    少し脱線いたしました。 お許しを。
    2012年08月19日 22:44
  • 長さん

    ekoさん、コメントありがとうございます。
    馬篭宿より妻籠宿の方が、商業主義に流されない落ち着いた雰囲気がありますね。
    立派な卯建、それが当時のステータスシンボルだったのですね。
    抹茶小豆、お好きですか。久しぶりにかき氷を食べました。
    2012年08月20日 00:20
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    藤村の「初恋」を今でもそらんじていらっしゃいますか。
    中学くらいの頃は記憶力も伸び盛りだったのですよね。
    しかし、私は暗記が大嫌いだった子供なんです。
    2012年08月20日 00:24
  • ケン坊

    おはようございます。
    文字通り、馬籠宿が男性なら妻籠宿は女性って感じのする警官のような...ここは穏やかに歴史が流れている感じがします。
    脇本陣は時間の関係で庭先だけを見学して終わっちゃいました...やはり個人でゆっくりと見たいですね。
    ツアーだと忙しくて...>笑<
    2012年08月20日 05:48
  • 無門

    こんにちは

    街道を歩く旅人にとって
    宿場町はオアシスのように
    ほっとするところだったでしょうね
    梲の上がった家は
    誇らしげですね
    2012年08月20日 06:33
  • 寿々木

    妻籠宿のほうが落ち着いた感じですね。若い頃馬籠から歩いて、訪れたことはあるのですが殆ど憶えていません。
    2012年08月20日 07:09
  • ポン太

    とても落ち着いてゆったりした感じの町なみですね。
    卯建、とても立派なものですね。奈良にも卯建の上がった家がありますが少し感じが違うようです。防火壁だったのですか。富の象徴だと思っていました。
    私の住んでいる町にも江戸時代の街並みが重要伝統建築(そんな名前だったと思う)に指定された一角がありますがやはり生活しながら保存して行くのは大変みたいです。」
    2012年08月20日 07:56
  • 長さん

    ケン坊さん、コメントありがとうございます。
    妻籠宿は女性警察官ですか。面白い例えですね。あっ、景観の誤変換か(笑)。
    我々も、本陣、脇本陣ともちょっと覗いただけでした。じっくり見るのは時間が必要ですね。
    2012年08月20日 07:58
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    長旅で疲れた旅人も宿場が近づくと元気が出たのでしょうね。
    宿場町でも卯建を上げた家はステータスが高かったのでしょう。
    2012年08月20日 08:01
  • 火龍果

    おはようございます。
    卯建があがらないという言葉がありますが
    卯建があるお宅というのはやはり富の象徴
    という理解ですし、雨龍があがらないと
    いうのが貧しさの象徴という理解でした
    まさに私そのもの雨龍があがりませんが・・
    2012年08月20日 08:03
  • 長さん

    寿々木さん、コメントありがとうございます。
    妻籠は派手さは全くないので、落ち着いた感じを受けます。それだけに、記憶に残りにくいのかもしれません。
    2012年08月20日 08:03
  • 長さん

    ポン太さん、コメントありがとうございます。
    卯建の目的は延焼防止のためだったのですが、次第に富の象徴のようになったようです。それがことわざの基になったのですね。
    古都奈良でも保存は大変でしょうね。
    2012年08月20日 08:07
  • 長さん

    火龍果さん、コメントありがとうございます。
    商家では卯建の立派さを競うようになり、本来の目的から外れたまま定着したようですね。それがことわざになったのでしょう。
    2012年08月20日 08:16
  • 信徳

    ご無沙汰しています。毎日暑いですね。妻籠旅行記読ませて頂いています。花を見ながらの楽しい旅でしたでしょう。
    2012年08月20日 08:27
  • グランドマザー

    こんにちわ^@^
    ひと時を暑さを忘れさせてくれる妻籠の空とかわいい小さな花ステキです・・・
    生活をしてらっしゃる方達がいるんですね きっとゆっくりと時間が流れていくんでしょうか
    旅はいいですね
    2012年08月20日 09:55
  • 長さん

    信徳さん、コメントありがとうございます。
    まだ残暑が厳しいですね。内陸の群馬ではもっと気温が高いのでしょうね。馬籠宿、妻籠宿と暑い中の散策でした。久しぶりのかき氷が美味しかったですよ。
    2012年08月20日 10:12
  • 長さん

    グランドマザーさん、コメントありがとうございます。
    宿場町を歩くと、何故か懐かしさを感じますね。しかし、暑かった。もう過ごし涼しいときにゆっくり回りたい。そして、地元の人と会話を楽しみたいものです。
    2012年08月20日 10:22
  • 菜の花

    私が行った時には妻籠の本陣には建物はありませんでした。入口の構えはさぞかしと思える風貌だった記憶です。今は博物館ですか。外観が復元でしたら、往時を彷彿させる事が出来ますね。
    2012年08月21日 08:49
  • サヤ侍

    妻籠宿良いですねえ。島崎藤村の世界に入っていくような気がします。言葉の響きが良いですよね、つ・ま・ご・い
    2012年08月21日 12:18
  • 長さん

    菜の花さん、コメントありがとうございます。
    妻籠宿本陣は間取り図が残されていたそうで、それを元に平成7年に復元されたとのことです。時間があれば、本陣と脇本陣の中を見学したかった。
    2012年08月21日 14:17
  • 長さん

    サヤ侍さん、コメントありがとうございます。
    馬籠宿、妻籠宿とも島崎藤村の生きた世界ですね。
    読み方は、「つまご」で止めてください。つまごいでは群馬県の嬬恋村になってしまいますので・・・。
    2012年08月21日 14:20

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