駒ヶ根ICから中央道に入り、恵那山トンネル(全長約8.5Km)をで日本アルプスの下をくぐって、岐阜県に入りました。中津川ICで中央道を降り、中央道に沿って戻る形で中山道の馬籠宿に向かいました。
今回から、馬籠宿で見た花たちを宿場町の様子と共にお届けします。
土産物店の大きな駐車場に車を置いて出発です。
馬籠宿下入口と方向表示です。
下入口にあった案内板です。赤い吹き出しが現在地で、右方向に緩やかな上り坂が続きます。坂の途中が宿場というのは珍しいと思います。
桝形(クランク状に折れ曲がった道、右側は新道)とホウズキ。桝形沿いの水車は発電用で、周辺の街灯と常夜灯の電力をまかなっているという。
宿場の歴史と桝形の説明です(クリックすれば、何とか読めると思います)。
アサガオ(ヒルガオ科) ムギワラギク(キク科)
ストケシア(キク科) ハルシャギク(キク科)
清水屋資料館に入ってみました。この家(原家)の8代目当主は文豪島崎藤村と親交があったそうで、ゆかりの品々が展示してありました。右下の書「是より北 木曽路」は藤村の自筆。
左下、「夜明け前」の自筆原稿(複製)、右下、「思索の間」。
藤村の故郷はここ馬籠、「夜明け前」を書く際、原家の当主がくつろいだ部屋で、藤村は資料を集めて思索にふけったと言います。
キキョウ(キキョウ科) アサガオの変わり咲き
(つづく)
この記事へのコメント
あいべん
昔の面影を残した宿場の雰囲気が気に入ったの
今でも覚えています。
今日の花随分知ってる名前が多いです。
気を使い分り易い花ばかりUP(爆笑)。
そんな訳無いですね。
長さん
江戸時代の面影を伝える宿場町ですから、本来はその当時から親しまれた花を植えようという考え方があるようです。この中の花では、ムギワラギクが江戸時代末期の渡来ですからセーフ、ストケシアは大正時代なのでアウトかなーと思います。変わり咲きのアサガオは江戸時代に盛んに創作されましたから、ふさわしいですね。
nobara
ご一緒に歩いてるようでした。
素朴な風車が健在でしたか・・・
まんなかあたりのお蕎麦屋さんが美味しかった。
なだらかな坂道も風情がありますね~~~
まげわっぱのお弁当箱、
大枚はたいて買った思い出があります。
皆さんが街道沿いに思い思いにー
お花を育てていらっしゃいますね。
あの時代に即した植栽だったのですか?
保存のためには大変なご苦労がありますねー
hanasaku
ここ友達と歩きました!
懐かしく拝見してます。
アサガオの変わり咲き・・・
どうしちゃったんでしょ。
アサガオとは想像できないです。
yoppy702
馬籠って、こんなに趣きのある良い所なんですね。是非、行ってみたいと思います。
アサガオの変り咲きって初めて見ました。
こんなんがあるんやと思いチェックしましたら、「変り咲き朝顔」とか「変化朝顔」って呼び名があるんですね。
花の形も、とても、朝顔と思えないようなものばかりでした。
ありがとうございました。
長さん
素朴な水車が回る家の中は水力発電所だったので、びっくりでした。
江戸時代の宿場町と言えば舗装のない道が当たり前でしたが、ここは坂の町だけに、石畳だったんですね。
全部の花が明治以前のものなら完璧でしょうが、ハルシャギクやストケシアは明治以降のものですよね。
長さん
hanasakuさんも歩いたことがおありですか。
変わり咲き朝顔(変化朝顔)は突然変異したものです。江戸時代に、こういう朝顔を作ることが大変流行ったのだそうです。写真のものは獅子咲牡丹といわれるものらしいです。
九州大学のHPに色々掲載されています。↓
http://mg.biology.kyushu-u.ac.jp/index.html
長さん
関西発の馬籠宿・妻籠宿のツアーはいくつもあるようですね。機会があれば行ってみると良いと思います。
朝顔は意外に突然変異しやすいらしいですね。
小梨
ぶたねこ
ここは以前長野県でしたが合併で
岐阜県となってしまいました。
藤村の生花で資料もいっぱい展示してた事でしょう
木曽路はすべて山の中と申しますが
のんびりの過ごすには良い所ですね
宿場の街並も素朴でよいですね。
沢山の資料で解説されていて改めて
勉強させて戴きました。
有難うございます。
長さん
馬篭宿が町並み保存に本格的に取り組んだのは昭和47年以降だそうです。
アサガオ、そういえば葉の形が西洋アサガオのものですね。
長さん
馬篭宿のあたりは2005年まで長野県だったそうですね。平成の大合併の時期ですね。
藤村の生家だった旧本陣は見学しませんでしたが、清水屋資料館に多くの資料が展示してありました。
こういう場所を歩くと、初めてでも何か懐かしい感じがしますね。
なおさん
藤村の資料やゆかりの部屋が残してあるのも興味深いですし、庭先の花もそれぞれ面白いですね。
僕も機会があれば行ってみたいです。
寿々木
長さん
馬篭宿は石畳の宿場町で、他の宿場町とは違った雰囲気がありますから、一度行って見られては如何でしょうか。
馬篭宿の人々は馬篭峠を越えて長野県へ行くより、便利な岐阜県を選択したんでしょうね。
島崎藤村の生家が本陣だったのはびっくり、馬篭の名家だったんですね。
長さん
馬篭、妻籠は3泊目の場所に行く途中だったのです。どこか観光地がないものかと地図などで探しました。
馬篭・妻籠間を歩く人のために、手荷物運搬サービスというのも行われているようです。
菜の花
妻籠の本陣も立派な入口でした。藤村のご親戚ですよね。
保存は大変でしょうが歴史の持つなつかしさがありますね。
目黒のおじいちゃん
shuuter
馬篭宿 歩いてみたいコースです。
昨年は中山道を歩きましたです。
馬篭宿 美しいまま保存されていますね。
長さん
30年ほど前の馬籠宿と比べて、少しは変わっているところがあるでしょうか。私は、当時より小綺麗になったのではと想像しています。今までに歩いた宿場町より花が目に付きました。
妻籠宿本陣は島崎藤村の母の生家だったとのことです。この後、立ち寄ります。
長さん
中山道をすべて歩くのは難しいですが、こうした保存された宿場町を訪ねるのは面白いですよ。
長さん
旧街道を歩いてみる人が増えたそうですね。ここも、真夏なのに観光客が多かったです。
無門
木曽路はすべて山の中
数々の歴史や
文学の面影を感じますね
馬籠を初めて訪れたのは
今から44年前
原稿用紙と
「初恋」の詩を抱えての一人旅でした
花咲か爺
ケン坊
馬籠宿へ行かれましたか...昨年10月に行ったので懐かしいです。
こういう景色に出会うと何となくホッします。日本人の郷愁はこういう場所なのかも知れませんね。次は妻籠宿ですか?
ムギワラギクや朝顔の変わり咲きが面白いですね。
長さん
44年も前に行かれましたか。原稿用紙と「初恋」の詩を抱えてなんて、ロマンチックですね。しかし、失恋の旅と言うことも考えられるか・・・。
長さん
初めて行ったので、こんなに上り坂とは知りませんでした。宿場町としては珍しいですよね。信州、飛騨あたりの蕎麦も美味しいですよね。盛りが多くなかったですか?
長さん
昨年10月に行かれたんですよね。その時のレポートはさらりとしたものだったような記憶があります。
懐かしく感じるのは同じですね。そんな面も、宿場町を訪れる人が多い理由でしょうね。
ムギワラギクはこれから咲き始めですが、変化朝顔にはびっくりしますよね。
hiro
長さん
こんな風景を見ると、私たちの世代は懐かしさが感じられますね。若い人も、きっとデジャブではないでしょうか。