東漸寺の総門を出て、小金宿を左手に進みます。街路灯にも小金宿の文字が書かれています。
右下は、みずほ銀行の斜め前にある「小金町道路元標」です。大正8年制定の旧・道路法により、各市町村に一個の設置が必要だったのですが、現在の道路法ではその義務は無くなりました。従って、殆どが取り壊されてしまったのだそうです。
間もなく広い交差点に到達します。旧水戸街道はここから右に折れていきますが、直進すると本土寺への参詣道になります。現在は、JR北小金駅(信号の先は)があるので、その先へは進めません。
上の写真の左奥から交差点を角度を変えて撮ったものです。旧水戸街道は、右手から来て画面の奥へと曲がっていきます。
交差点の右奥にマツモトキヨシの店舗が写っていますが、ここが創業の地です。しかし、店舗番号は4番。創業者が「他にも店があるよ」と見せかけるためだったそうです。
上の写真で、左の赤信号の少し先にあるのが、「右水戸道中」と書かれた2本の道標です。左のものは明和5(1768)年に建てられたものですから、一茶も見ているはずです。右の方はそれより古いようです。このあたりには八坂神社(牛頭天王)がありましたが、駅前再開発のため、昭和48年に移転しました。
左側の道標の左側面には、「左 なか連山みち」(流山道)と彫られています。一茶はここで左手へ折れ、流山にいたスポンサーである秋本双樹の家へと向かいました。右下は、交差点付近にある「本土寺道」と彫られた道標です。
旧水戸街道の行く手に背を向けるように、交差点を左に曲がると、右手に綿貫家があります。
綿貫家は、江戸時代、幕府の野馬の放牧場である小金牧や佐倉牧を管理支配する「野馬奉行・綿貫夏左右衛門」の末裔に当たります。
野馬奉行の役職は代々世襲で夏左右衛門を名乗り、その屋敷は「小金御厩役所」とも言われました。
当時の綿貫宅は現在の場所よりもっと後方にあり、広大な土地を所有していたと言われます。
綿貫家の門の背後に見える白梅です。緑萼梅らしいです。
一茶の通った流山道は坂を下っていきますが、現在では住宅街となり、その道筋は分からなくなりました。
次回は、ちょっと寄り道して、八坂神社の移転先を訪ねます。
(続く)
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