手前の車の向かう先が柏・水戸方面です。画像の右寄りに黒っぽいビルがありますが、その手前、背の高い街路灯の根本に白い標柱が立っています。
トヨペット販売店前から写したものですが、旧水戸街道の道標が建っています。庚申塔を兼ねたもので、「左水戸街道」「右印西道」と彫ってあります。文化3年(1806)の建立ですから、一茶が足しげく通った頃です。真新しい道標を撫でて行ったかもしれません。
歩道橋を渡ります。左下は東京方面で、右奥へ向かう道が旧水戸街道(江戸見坂)です。右下は柏・水戸方面です。
道標の北面には「總州葛飾郡馬橋村」と刻まれています。
道標から100mほど歩くと、一里塚跡を示す標柱が立っています(日本橋から6里≒24Km)。今はその面影すらありませんが、昭和40年代頃までここに一里塚が現存していたといいます。
一里塚にはエノキ(榎)が植えられていたといいます。2010年2月、松戸市緑推進委員会10周年記念としてエノキの若木が植えられました。
2枚上の写真の左端に写っている建物はリサイクルショップです。ちょっと興味が湧いたので、覗いてみました。
黄色い小型の電動スクーターや、昔懐かしいタイプライターが売られていました。
(つづく)
この記事へのコメント
hanasaku
今の道を一茶が見たらぶったまげるでしょうね(笑)
どんな句を詠むでしょう。
長さん
一茶ならずとも、江戸時代の人がタイムスリップしてきたらびっくり仰天ですね。「一茶さん そこのけそこのけ 車が通る」と言われちゃいますね。
なおさん
一里塚にエノキを植えて目印や休み場所にしたのですよね。今でエノキを植えると言うのは面白いです。
あいべん
一茶が歩いた道、と言うより私は長さんが
散策した水戸街道を写真で感じて居ます。
一茶は感じた情景を素直に自分の言葉で
詠んでいますが長さんは感じたままをスケッチ
写真・・。
時代が変われば色々変わりますね。
今、もし一茶が居ればどんな句を詠むでしょうね。
ケン坊
実家から宇都宮までハッキリと判るのは2ヶ所位しかありません。見るからに保存しているという一里塚は1ヵ所だけ。
道路の拡幅工事や都市計画等々で消えてしまったのかも知れませんね。
出来るだけ残して欲しい気がしますが...
長さん
この道標はかなり大型ですから、できたときはかなり目立ったと思います。以来、200年以上、街道の変遷を見続けてきたんですね。
一里塚にはエノキが多かったようですね。
長さん
一茶が現代に生きているとしたら、どんな句を詠むでしょうね。無機質なものが周囲にあふれ、移動も車でしょうから、街道筋で情緒を感じさせるような句は作れないでしょうね。
長さん
一里塚は道路拡張の際には確実に邪魔になりますね。と言って、道路を曲げるわけにもいかないし。
ここは昭和40年代まで残っていたといいますが、私の記憶からはすっかり消えています。
無門
道標や一里塚は
歴史の生き証人の役目
大切にしておきたいものですね
nobara
そういえば一里塚って結構あちこちで見かけます。以前の福岡の住まい近くにもありました。ひっそりと埋もれていたり?するのでしょうかね~
寿々木
長さん
古い道標や一里塚を懐かしがっているのは、我々の年代だけかもしれませんが、歴史を後世に伝えたいですね。
長さん
天保年間の調査によると、一里塚に使われた木は榎が一番多く、次が松で1/4ほど、杉が1割ほどとのことです。大きくなる木で、木陰が広くできるものが選ばれたのでしょうね。
一里塚は道の左右、対で作られたそうですから、現在の交通事情からすると、次第に無くなる運命なのでしょう。
長さん
旧水戸街道でも道標が残っているのは少ないようですから、東京ではもっと少ないのではないでしょうか。
shuuter
一里塚には榎が植えられているところ多いですね。
昔を偲んで新たに榎を植えられるのも 納得です。
車の少ない旧街道はウオーキングに最適ですね。
長さん
やはり人気がありますか、旧街道ウォーキング。
一里塚の木はケヤキなんかが多いのかと思ったら、エノキが多数派だったんですね。実が食用になるからでしょうか。