一茶の通った小金道…その8 弁天池

 旧水戸街道は馬橋の万満寺の山門前で45度角度を変え、北東に向かいます。左端が万満寺の鐘楼です。
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 すぐ右手に、大川レディースクリニックがあります。以前は大川病院と言い、昭和38年開院の産科婦人科です。わざわざ紹介したのは、長男が生まれた病院だからです。
 斜向かいに病院の駐車場があり、大きなセンダンの木があるのです。毎年花を楽しんできましたが、昨年秋、強剪定されてしまいました。今年は花が咲くでしょうか。
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 さて、一茶が歩いた頃の話に戻りますが、現在はバスの停留所(回転場)になっている場所に、弁天池がありました。私が新婚だったころは池が残っていました。
 区画整理事業で埋め立てられ、区画整理人組合のビルができ、市役所の支所として利用されてきました。しかし、「3・11」以降、耐震強度不足が発覚し、撤去されました。バス停としての利用は今月16日からです。
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 上の写真より右手にお地蔵様の祠があります。「その5 万満寺(1)」で紹介した「分間延絵図」(1804年頃)に、弁天池と共に、地蔵の存在が記されています。
 弁天池の存在を記憶に残すためか、区画整理地内に四角い池が作られています。
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 右上の写真に小さな神社が写っています。これが、下の写真です。馬橋辨財天厳島神社と石柱に書かれていますが、この弁天様も、境内が池の中に張り出すような形で「分間延絵図」に書かれており、弁天池の名の由来になっているようです。
 一茶はこの弁天社や弁天池、お地蔵さんなどを眺めながら、小金道を辿ったのです。
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 池の近くに2本の古木があります(4枚目の写真の右上)が、池のあったという生き証人です。
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 古木の下を通り、狭い路地を奥への進んでみました。前出の大川レディースクリニックの裏手あたりですが、広い空き地が残されていたり、廃屋があったり。JR馬橋駅から直線距離で200mにも満たないところですが、開発に取り残されたような地域でした。
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 そんな中に、こんな洋館が残されています。近所の歯医者さんのご実家らしいのです。
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 (つづく)

この記事へのコメント

  • あいべん

    今晩は(^^)
    一茶の通った小金道なのに風景写真として
    見せて頂きました。
    私も散歩道でスケッチ写真的風景写真を撮るので
    少し興味がわきました。やはり都会のど真ん中
    だと一茶イメージしづらいですが今日は少し田舎
    なので安心(?)できました。
    又、今日も変なコメントすいません。
    2012年02月23日 22:08
  • 長さん

    あいべんさん、コメントありがとうございます。
    これらの写真から一茶を連想するのは無理でしょうね。
    松戸市の人口は48.3万人ですが、結構田舎っぽいところが残されていますよ。
    2012年02月23日 22:44
  • hanasaku

    こんばんは!
    一茶より長さんの新婚時代に思いを馳せてしまいました(^∇^)
    あの病院で初めてお子さんを抱っこされた時はどんなに喜ばれたのかなって!
    2012年02月23日 22:48
  • おとと

    こんばんは~
    支所の所にバス停が出来たのですね
    以前とは様変わりしていますが、どこも懐かしい所です
    2本の大木はまだ健在ですね欅の木だと思います
    2012年02月23日 22:49
  • 長さん

    hanasakuさん、コメントありがとうございます。
    ここで生まれた長男は41歳になりました。当時、陣痛が始まった妻をここに連れて行きましたが、お父さんは用事がないからと、追い返されました。翌日、面会に行きましたが、嬉しかったですね。
    2012年02月23日 23:11
  • 長さん

    おととさん、コメントありがとうございます。
    支所跡はすっきりしました。1車線の道をバスが占領することもなくなり、車も走りやすくなりましたよ。
    この古木、樹齢は何年になるのでしょうね。
    2012年02月23日 23:18
  • なおさん

    時代とともにいろいろ移り変わりがあるものですね。そんななかでも江戸時代の名残や明治・大正昭和と各時代の名残を捜し歩くというのは、面白いかもしれません。
     いろいろ思い出のある町歩きは楽しいでしょうね。
    2012年02月24日 04:54
  • ケン坊

    当時の池の存在を証明するため四角い池を作るとは、池だけにイケてますね。
    最後の洋館が気になります...ここで歯医者さんを行っていたのでしょうか?
    2012年02月24日 06:40
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    一茶が歩いた当時の面影はほとんど残されていませんが、それでも、一茶の気持ちになって、当時の痕跡を探して行きたいと思います。
    2012年02月24日 07:56
  • 長さん

    ケン坊さん、コメントありがとうございます。
    イケてる洒落を考えましたね。座布団1枚差し上げます(笑)。
    この洋館、妻の小さいころの記憶では、歯医者さんがここで開院していたらしいということです。
    2012年02月24日 08:06
  • 無門

    こんにちは

    確かに区画整理をすると
    街はきれいになりますね
    でも
    残すべきものは
    できる限り原形のまま
    デザインしてくれると
    ありがたい
    設計者のセンスが問われますね
    2012年02月24日 09:00
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    弁天様は元の位置に戻してくれたようですが、この池だけはいただけませんね。中途半端というか、そもそも池らしくありません。
    2012年02月24日 09:43
  • shuuter

    何処も開発が進んでゆきます。
    その中で昔の様子をしのばせるものが残っているとうれしいですね。

    私の住む団地でも学校の隅とか境界線のあたりに昔雑木林であった面影を残す植物が生えていることがあります。
    ”モチツツジ”が春に咲き出します。
    恐らく開発前にはモチツツジがぐんせいしていたのではないかと思っています。

    弁天社・池や地蔵を眺め昔をしのびながらの散策も楽しいですね。
    2012年02月24日 14:01
  • Tatehiko

    長さん書き込みをありがとうございます。
    ツレの癌マーカーに揺れる家庭内ですが、ブログをやっていて、書き込みをいただくことで冷静さを取り戻せることを知り感謝です。
    2012年02月24日 14:50
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    区画整理人組合も歴史をすべて抹消してしまうことはできなかったようです。ただ、世代が変わると、この小さな人造の池もその意味を忘れられてしまうかもしれません。
    2012年02月24日 20:52
  • 長さん

    Tatehikoさん、何ともご心痛なことですね。お察しします。
    2012年02月24日 20:53
  • 小梨

    最後の洋館、懐かしいですね。 大正時代に流行ったそうですが、最近はほとんど見かけません。
    2012年02月24日 21:40
  • 長さん

    小梨さん、コメントありがとうございます。
    この洋館、出来たときはとてもモダンだったでしょうね。今では、再開発に取り残された地域にひっそりと建っています。
    2012年02月24日 21:56

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