一茶が通った小金道…その7 王子神社

 馬橋の万満寺の西隣に王子神社があります。一茶が見た時代は、万満寺の境内の一部でした。
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 王子神社の由来書です。もともとは万満寺の守護神として創建されたものです。現在は万満寺と王子神社の境に道が出来ていますが、明治政府による神仏分離令以降のことなのでしょう。
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 鳥居は昨年3月1日に倒壊し、昨年12月に再建されました。しめ縄はわらではなく、ポリプロピレン製のようです。これもご時世でしょうか。
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 狛犬は古いものです。
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 陶器でできた狛犬は珍しいですか? 1基は壊れてしまったのか、1基だけ置いてあります。
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 本殿と、拝殿の内部です。子供みこしや獅子舞の頭が飾ってありました。
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 境内の左手奥には道祖神が集められています。宅地開発で邪魔になったものなのでしょう。
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 左上の写真の右側に白い案内標柱が立っていますが、千葉県内最古の道祖神用石祠があるのです。背後に寛文元年(1661)と彫られています。中の道祖神が失われているのは残念です。
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 境内の奥にある末社です。左奥は三峰神社、右奥には浅間神社。
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 (つづく)

 一茶が、万満寺の立砂の墓に詣でた時の歌と言われるものが分かりましたので、記録しておきます。

     塚の霜雁も参りて啼きにけり
     生き残り生き残りたる寒さかな

この記事へのコメント

  • ekomountain

    陶器製の狛犬、珍しいのではないでしょうか。1基しかないのが残念です。道祖神もあるんですね、長野県しかないと思っていました。千葉県最古の道祖神失われているのは残念ですね。
    2012年02月20日 21:28
  • 長さん

    ekomountainさん、コメントありがとうございます。
    陶器製の狛犬、珍しいですか。私もここのしか知らないんです。
    道祖神はこの地方にも結構ありますよ。昔は街道筋だけでなく、あちこちにあったようです。
    2012年02月20日 22:16
  • hanasaku

    こんばんは
    歴史があちこちに残っているのですね!
    普段はきっと見過ごしてしまっているのですね。
    浅間神社ってあちこちにあるような気がします。
    2012年02月21日 00:00
  • なおさん

    陶器製の狛犬は、僕も見たことがないです。面白いですね。鳥居が倒れて再建されたのですか。わら製でない注連縄ですと、腐らないでいいでしょうね。

     川越にも浅間神社はありますが、あまり行ったことはないです。
    2012年02月21日 04:36
  • ケン坊

    道祖神は盗難にあったのでしょうか? だとしたら何という罰当たりなんでしょうか?
    陶製の狛犬はあまり見かけないと思います。陶器の街の神社だったら有りそうな気もしますが...
    注連縄って毎年作るものと(先入観)思ってましたが、ポリ製って面白いですね。
    2012年02月21日 05:45
  • 長さん

    hanasakuさん、コメントありがとうございます。
    郷土の歴史を調べてみるのは面白いことに気付きました。若いうちはあまり関心がありませんでしたが、みなさんそうでしょうね。
    浅間神社は富士浅間神社を勧請したものです。各地に富士山信仰が残っており、浅間神社や富士塚なんかもありますね。
    2012年02月21日 07:33
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    陶器製の狛犬は方を作れば大量生産できるから、石製より安価だったのではないでしょうか。
    プラスチックのしめ縄を見たのも初めてです。
    関東は富士山信仰が多かったのか、浅間神社は多いですね。
    2012年02月21日 07:39
  • 長さん

    ケン坊さん、コメントありがとうございます。
    古い道祖神ですから、風化してしまったのかもしれませんね。
    陶製の狛犬は、もしかして益子あたりで作られたものかもしれません。
    ポリ製のしめ縄もご時世でしょうね。いかにポリ製とはいえ、何年も持つわけはありませんね。
    2012年02月21日 07:43
  • 無門

    こんにちは

    陶器の狛犬は
    関東では珍しいですね
    愛知三河には瀬戸常滑があり
    たくさん残されているようです
    歴史散歩には
    興味津津の寺社ですね
    庚申塔道祖神も
    明治維新の文化大革命の
    一種の被害者ですね
    2012年02月21日 08:13
  • nobara

    東日本大地震でも影響有ったのですね~
    関東大震災もその他いろいろなのも有ったでしょう
    ポリ製の注連縄~ やはりご時世なのでしょう
    この頃はお墓も造花を良く見かけます。
    頻繁に訪れられる近場ならいいのでしょうが・・
    遠いところに有る方も多いでしょうからねー
    参道など趣がありますね。
    2012年02月21日 08:20
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    瀬戸焼や常滑焼の狛犬がたくさん残されているんですか。豊川稲荷系ですかね。
    明治政府が神仏分離令を出した後、廃仏毀釈の動きが強まったそうですが、庚申塔や道祖神もその被害者なんでしょうか?
    2012年02月21日 09:07
  • 長さん

    nobaraさん、コメントありがとうございます。
    鳥居の倒壊は3月1日のことですから、東日本大震災の10日前だったのだそうです。王子神社も万満寺も震災による被害はなかったようです。
    ポリ製のしめ縄もご時世でしょうが、ちょっとねー。
    万満寺の墓は、檀家が近いせいか造花は少ないですが、やはり生花の方が良いと思いますね。
    2012年02月21日 09:18
  • tomi

    長さん;随分と分かりやすく解説いただき歴史本を紐解くようです。
    一茶は何回か結婚して居ますね、最後は大変若い奥さんでしたね、色々と艶かしい話題の有る方ですが本当でしょうか?”万満寺とはどう読むのでしょうか マンマンジ ですか。
    2012年02月21日 15:26
  • あいべん

    万満寺境内は一茶の時代も今も変化は
    左程無いでしょうね。
    神社仏閣の境内は時代が止まった状態に
    写せと言われた昔の事を思いだして居ます。
    しめ縄がポリプロになりましたか・・・。
    経費節減なのですね~。
    2012年02月21日 16:33
  • suuter

    王子神社に陶器の狛犬があるのですね。

    信楽には大きな狸がありますが、それより細工が込み入り
    焼くとなると大変なことだったでしょね。

    一方 しめ縄がプロピレン性とは伝統より実益を取ったようですね。
    宮司さん若い人になったのでしょね。
    2012年02月21日 18:55
  • 長さん

    tomiさん、コメントありがとうございます。
    一茶の最初の結婚は52歳で相手は28歳、妻と死別したあとの再婚が62歳で相手は38歳、離縁後の再再婚は64歳で相手は32歳と、妻がいずれも若いという事実があります。3番目の妻との間に、女の子も作っていますから、相当な精力家だったのでしょうね。
    読みは「まんまんじ」で良いんですよ。
    2012年02月21日 20:07
  • 長さん

    あいべんさん、コメントありがとうございます。
    万満寺の敷地は一茶の当時1万坪以上あったということですから、今はその数分の一です。
    「時代が止まった状態で写せ」ですか、京都のように古い寺がある場合はその通りでしょうね。万満寺や王子神社のように、殆どが明治以降の再建だと古いものを切り取るのは難しいです。ポリプロピレンのしめ縄では尚更です。
    2012年02月21日 20:12
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    信楽には大きな狸がありますか。関東の益子にも高さ数mの狸がいますよ。それに比べれば、この狛犬は可愛いものです。
    今、しめ縄も新調するとなると高価なんでしょうね。宮司は常駐しておらず、年齢は不明ですが、鳥居建設委員会名の立札が立っていました。
    2012年02月21日 20:17
  • ミキ

    一茶が立砂の墓に詣でた時の2句
    しみじみとした悲しみが伝わってきますね。
    思いがけない句に接し胸を打たれました。
    ありがとうございました。
    2012年02月22日 01:00
  • 長さん

    ミキさん、コメントありがとうございます。
    一茶が慈父とも仰ぐ立砂の死の悲しみがにじみ出てくるような句ですね。
    2012年02月22日 07:54

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