一茶が働いていたと言われる大川油屋の主人栢日庵立砂の邸宅跡から、旧水戸街道をほぼ真北へ向かって270mほどで、萬満寺の山門に至ります。法王山萬満寺(以下、万満寺と記す)は臨済宗大徳寺派の禅寺です。
写真は、現在の万満寺の山門と鐘楼です。
万満寺は鎌倉時代の建長8年(1256)創建で、当時は大日寺と言いました。万満寺となったのは康歴3年(1379)です。ご本尊は阿弥陀如来で、製作年代は平安時代末と推定されています。
仁王門で、慶応2年(1866)に再建されたものです。
阿吽2体の仁王尊は運慶の作と伝えられ、戦前は国宝に指定されていました(仁王門の手前右手に国寶仁王尊と彫られた石柱が現存)。運慶作の確証がないので、戦後は、国の重要文化財になっています。
写真は、万満寺史に掲載された阿吽の像です。黒塗りの仁王像は珍しいです。一休もこれを見たことでしょう。
江戸時代、仁王尊は中気除け、疱瘡除け信仰で有名になり、現在も万病除けの「仁王股くぐり」が正月と春秋の大祭時に行われています(そのため、上の写真で阿像の台座が白くなっています)。
万満寺は江戸時代に数回消失、明治41年には蒸気機関車から出た火の粉のため炎上、仁王門以外の伽藍や仏像の多くを失いました。現在の本堂は昭和62年(1987)に再建された鉄筋コンクリート製です。
一休が万満寺に参詣していた頃、寺領は11,800坪あったと言われますが、一茶が生存中(1763-1827)の頃に書かれた絵図が万満寺史に掲載されてます。
こちらは文化期(1804頃)に書かれた分間延絵図(逓信博物館蔵)から転載したもので、右下に万満寺が書かれています。
こちらは文政7年(1824)に書かれた鹿島参詣記(船橋市立西図書館所蔵)に描かれた万満寺伽藍図です。
右下に、小金道と記されていますね。中央下に江戸道と書かれていますが、水戸藩は水戸街道とは言わず、江戸道と言っていたからです。
(つづく)
お詫び:その後の調査で、山下清画伯の働いていた魚屋(加藤商店)の位置が判明しました。大川立砂の居宅跡の隣、つまり、私たちが通うスポーツクラブがある場所だったとのことです。
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この記事へのコメント
小梨
ekomountain
重要文化財に指定されている仁王像、なかなか他では見ることは出来ないのでは。仁王股くぐりが行われているのも珍しいのではないですか。
山下画伯の働いていた魚屋さんが、スポーツクラブの場所だなんて、奇遇ですね。
長さん
一茶は松戸と流山に愛着があったのか、第二の故郷のように感じていたようです。
長さん
歴史ある寺ですが、度々の火災で立派な伽藍や仏像・宝物の多くが失われたのは残念です。
仁王と言ったら朱塗りですが、黒は珍しいでしょう?普通は重要文化財の仁王尊の股をくぐるなんて考えられませんよ。
山下画伯が働いた魚屋さんの跡地にスポーツクラブとは、面白い偶然です。
ぶたねこ
立派な山門と鐘楼、仁王像もしっかり
魔よけになりそうですね、
小林一茶のふる里信州には一茶の記念館も
あります。
山下清も我が町に住んでいたと言って
諏訪湖の花火の絵は有名ですね。 色んなお話が残されて居ますね。
長さん
馬橋にはあまり自慢できるものはないのですが、唯一、水戸街道一の古刹・万満寺があることくらいです。
信州と上総、一茶と山下清という共通のつながりがあったんですね。
hanasaku
歴史の勉強みたいで楽しいです!
吽の方はくぐらないのでしょうか?阿像だけ白くなっちゃて…又変な疑問になっちゃいました!
目黒のおじいちゃん
ケン坊
山下清縁の地にスポーツクラブがあるなんて、これも何かの縁ですね...
無門
一茶の見たであろう景色
うれしいですね
街道は時として
鉤の手にわざと曲げて作りますね
直線が長いと大名行列が
遠くから確認できトラブルの原因とか
まさに満満寺あたりがそれに該当するのかな
寿々木
長さん
たまには歴史の勉強も面白いでしょう。
吽像の方は後ろ側の裾が大きいので、くぐるには狭いようです。
長さん
新しいPCにすると初期設定やOSのアップグレード、データの移行など結構時間を必要としますよね。
長さん
風格がある山門と鐘楼は古そうに見えますが、実は新しいのです。山門は昭和、鐘楼は4年前に作られたんです。
山下清が働いていた魚屋の上で汗を流しています(笑)。
長さん
街道はわざと鍵の手に曲げて作るんですか?
旧水戸街道は地形に従って道ができたような感じがしますが、万満寺までは門を目指して直線になったようです。
長さん
京都の黄檗山万福寺は有名ですね。こちらは万福寺ではなく、万満寺というんです。
kaze・・・
ここで一句詠んでおけば句碑が建った
のでしょうが・・・。
あいべん
京都雪の朝むかえました。
それにしても良く勉強され撮影にのぞまれたのですね。
多分一茶に興味をもたれての事とは思いますが
此の頑張りは何なんでしょう。
shuuter
仁王尊 運慶作でないにしても歴史あるもんですよね。
一茶もこの仁王尊を見たのですね。
長さん
一茶は馬橋で俳句を学び始めたらしく、万満寺で詠んだ句は、探しても見つかりませんでした。
長さん
今朝は2日続きの雪でした。
最初は写真だけでさらりと行こうかと思ったのですが、記事を書いているうちに興味がどんどん膨らみ、ちょっと困っています。方向転換できるかな?
長さん
万満寺の山門と鐘楼は最近のものですが、寺格に相応しいものをと、住職はじめ檀家が頑張ったようです。
明治41年の火災でも仁王尊は焼けなかったので、一茶が見たものと同じです。
菜の花
歴史のあるお寺なのですね。
長さん
覚えていていただけましたか、そうなんです、舅姑の菩提寺なんです。馬橋で有名なところと言ったらこのお寺だけみたいなんです。
Tatehiko
京都に蟹萬寺だったしょうか、一休さんのお寺がありまして、勘違いしてしまったのですが・・・黒塗りの仁王像があるなんて素敵ですね。
長さん
京都には歴史上の有名人とのかかわりがある寺が多いでしょうね。
仁王尊と言えば朱塗りと決まっているよう思われますが、ここのは黒塗りで珍しいですよね。
おとと
馬橋村の地図が、懐かしい昔を蘇ります
右下が満々寺少し左に上がったところが弁天池、さらに上に
曲がったところが現在の国道6号線が走っていますね
此の地図は私にとっても懐かしい地図です
貴重なものを拝見させていただき有難うございました
小林一茶のゆかりの地以前そのスポーツクラブの道沿いに標識が有りましたが今は立ってないのでしょうか?
長さん
その通りですよ。しかし、今は弁天池はありません。その場所は2回ほど後にレポートします。
スポーツクラブの隣の信用金庫の敷地に、今も、「栢日庵立砂の居宅跡」の標柱が立っていますよ。
なおさん
古地図をたよりに街あるきをするのは、NHKの「ブラタモリ」の番組などでもありますが、面白そうですよね。
長さん
創建が古いので、古地図などの描かれるのはありがたいことです。寺の歴史を調べると、色々ご紹介したいことがあるのですが、それでは先に進めません。