一茶の通った小金道…その1 はじめに

< はじめに >
 私が住む町・松戸市馬橋は俳人小林一茶のゆかりの地でもあります。
 小林一茶は、天明2年(1782)、20歳の頃、馬橋の油商・大川平右衛門の店に奉公し始めたと伝えられています。平右衛門は俳人であり、栢日庵立砂(はくじつあんりゅうさ)と号していました。一茶は立砂の影響で俳諧の道に入ったようです。
 立砂は、俳人山口素堂の一派である葛飾派に属しており、同じ葛飾派で、流山で醸造業を営む五代目秋元三左衛門(俳号を双樹という)と親交がありました。一茶はその関係で秋元双樹と知り合ったようです。一茶は江戸に戻った後もしばしば立砂とその息子斗囿(とゆう)のもとを訪ね、双樹の家にも50回以上訪れたと言います。
 今回、油商大川立砂と斗囿の居宅があった場所から、秋元双樹の住んでいた場所(現在は一茶双樹記念館になっている)に至る道、すなわち、小林一茶が通ったと思われる道を辿ってみようと思います。
 道程は流山の一茶双樹記念館が発行している「下総葛飾今様小金道繪圖」(写真下)などを参考にしました。「繪圖」に沿って、旧水戸街道と流山道(小金道)を歩きますが、途中、あちこち横道にそれます。
 花の投稿を優先することになるでしょうが、合間を縫って続けたいと思います。お付き合いを頂ければ幸いです。
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 出発点はJR馬橋駅東口としました。
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画像 駅前ロータリーの右手、交番と書店の間の路地を南に進むと、左手の道端におたすけ地蔵と書かれた祠に大小のお地蔵さんが並んでいます(過去記事はこちら)。

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 路地は常磐線の線路際へと続きます。左手に建つアパートの入口にこんな貼り紙が…。年度末は引っ越しのシーズンでもあるんですね。

 やがて道は常磐線をまたぐ陸橋に至ります。陸橋の手前を左折し、陸橋に沿って進みます。写真左下は、振り返って陸橋を撮ったものです。止まっている自動車の向かう先は国道6号線(水戸街道)中根立体入口交差点です(写真右下)。
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 左上の写真の右端に白いガードレールが写っていますが、その右に中津川が流れており(途中から暗渠になる)、コンクリート製の橋が架かっています。右下の写真は、これからその橋を渡るところですが、ここからが旧水戸街道と一致する道になります。欄干に「馬橋・まばし」と書かれているのがお分かりでしょうか。上の「繪圖」の一番下(南)がこの地点です。
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 (つづく)

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 今日、この冬初めてとなる梅の花を見ました。
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この記事へのコメント

  • なおさん 

    小林一茶のたどった道をおとずれてみるというのも、興味
    深いことですね。馬橋界隈はゆかりの地なのですか。あちこち句碑などあると面白いことでしょうね。

     凛と咲く梅の花ご覧になりましたか。うちの鉢植えのも咲いてきました。
    2012年02月13日 21:45
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    自分の住んでいる町に所縁がある人物については興味が湧きますね。昨日、今日で行程の半分ほどを歩きましたが、今のところ一茶の句碑は見つかりません。
    梅の花も昨日一昨日の暖かさで一斉に咲き始めたようですね。
    2012年02月13日 23:39
  • 無門

    こんにちは

    一茶が歩き始めましたね
    そこのけそこのけ一茶が通る
    楽しみにしています
    2012年02月14日 06:02
  • ケン坊

    長さんの意表をついた「一茶を訪ねる」という新シリーズの始まりですね...楽しみです。
    ”そこのけそこのけ長さんがとおる”
    景色は当時とはガラリと変わっているでしょうが、何かしら一茶を感ずるものが残っていると良いですね。
    2012年02月14日 06:24
  • 寿々木

    御地は一茶縁の地ですか、健脚で寒空の中を歩かれましたか。
    梅の花が咲きましたか、当地では、今年は半月ほど遅れているようです。
    2012年02月14日 07:50
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    無理かもしれませんが、一茶が見たかもしれない風景を探してみますよ。今どきの雀の子はのんびりしていませんから、近づく前に逃げてしまいますねー。
    2012年02月14日 07:55
  • 長さん

    ケン坊さん、コメントありがとうございます。
    馬橋から流山まで約9Kmを歩きます。好奇心が強いので、途中あちこち横道にそれますので、一気にとはいきません。今回も半分ほどの行程に2日かかりました。
    一茶の足跡を探すのは無理ですが、一茶が見たかもしれない風景を探してみます。
    2012年02月14日 08:01
  • 長さん

    寿々木さん、コメントありがとうございます。
    一茶の残した文書にも馬橋や流山の地名がたびたび登場します。一茶がたどったであろう道筋を数日かけて歩いてみます。
    名古屋でも梅の開花が遅れていますか。
    2012年02月14日 08:11
  • nobara

    一茶縁の地なんですね~
    あんなあたたかな句を詠まれた一茶さんって!
    何か目的をもって歩くのも楽しそう~~
    長さんならば倍は掛かるでしょうね(笑)
    道草&横道、斜道、いっぱいありますから~
    2012年02月14日 09:14
  • shuuter

    小林一茶のゆかりの道探索ですね。
    何か理由を付けて歩くといいですね。歴史をたどる人が多いですね。
    私はもっぱら花ばかりです。
    4月にまた”エドヒガンを見るウオーク”を個人で計画したいと思っています。
    計画を練り始めたところです。

    梅がさきだしましたか、庭の梅まだまだ先のようです。
    2012年02月14日 09:17
  • kaze・・・

    小林一茶は信州柏原の人、江戸へ出たのは
    14才のころだそうですが、20才のころは
    松戸の在でしたか、松戸の風は一茶の20才
    の感性にどう影響したのでしょう、
    興味深いです。
    2012年02月14日 09:25
  • 長さん

    nobaraさん、コメントありがとうございます。
    一茶が俳句を始めるきっかけとなったのが、馬橋なんです。寄り道に次ぐ寄り道になるかもしれません。途中で花なんかが咲いていると嬉しいのですが、まだ寒いですからねー。とりあえず前半を2日かけましたが、もう少し暖かくなってから、後半をと考えています。
    2012年02月14日 09:56
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    家の近くはあらかた歩き回っていますから、今度は一茶にかこつけて少し距離を伸ばしてみました。1気に歩けば9キロですが、あちこちそれるので、何日もかかりそうです。
    エドヒガンの花見ウォーキングの計画、次は下見ですね。
    2012年02月14日 10:00
  • ekomountain

    雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
    一茶の俳句を詠んでいると温かい気持ちになります。
    どんなウォーキングになるのか楽しみです。
    もう梅の花が咲いているんですね。
    こちらはまだ見かけません。
    2012年02月14日 10:10
  • 長さん

    kaze…さん、コメントありがとうございます。
    信州柏原から江戸に出たのは継母との折り合いが悪かったためと言われています。その後の10年間は良く分かっていないのですが、その後半は馬橋で働いていたようです。立砂が資金援助するようになったのは、多分真面目に働いたからなんでしょうね。
    2012年02月14日 10:10
  • 長さん

    ekomountainさん、コメントありがとうございます。
    一茶の俳句が残されているのは30歳過ぎのようですが、彼の紀行文にはしばしば馬橋や流山が登場するようです。
    まだ梅の花、見かけませんか。
    2012年02月14日 10:13
  • あいべん

    今日の長さんのブログ樹木や花が無いのか?
    でも、やはり最後は梅の花。
    其れも一茶の道に結構雰囲気があってる・・。
    横文字の名前が無いから頭は今日は楽です(笑)
    長さん何でも懲りますね。
    2012年02月14日 15:09
  • 長さん

    あいべんさん、コメントありがとうございます。
    旧水戸街道、木も写らないほどですから、今では全く面影がありません。
    今まであっちへブラブラ、こっちへブラブラでしたが、今回はテーマを決めて歩こうかと宗旨替えです。
    2012年02月14日 18:47
  • ミキ

    小林一茶の足跡をたどる…楽しみです。
    家庭的に恵まれなく(親・妻など)苦労を重ねた
    人のようですが、俳句はのびやかな句が多いように
    感じています。そういえば一茶の句碑って見たこと
    ないですね。若き一茶が何に興味を抱き歩いたか
    一緒に勉強致します。そうだ、梅を探しに出かけな
    いと…ちらほら咲きはじめたようですね。
    2012年02月14日 22:36
  • 長さん

    ミキさん、コメントありがとうございます。
    継母と折り合いが悪く、亡父の遺産を弟と争い、結婚・離婚、子の死亡などなど一茶の私生活は大変だったようですね。俳句にはそんなことは全く感じさせないようです。
    一茶の句碑はこの道筋にも見当たらないようですが、最終盤でお目にかける予定です。
    2012年02月14日 22:50

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