堀留町交差点を超えて、間もなく人形町交差点という辺り、軒上に年季の入った板看板を掲げる店がありました。うぶけやという老舗刃物店です。
ネット情報によれば、創業は江戸時代の天明3年(1783年)で、大阪で開業し、幕末頃現在地の近くに江戸店を開業、明治初年(1868年)にこの場所に移って現在に至るという。現在の建物は関東大震災後に建てたもので、東京大空襲でも焼け残ったそうです。うぶけというのは産毛のことで、元々は毛抜きが専門だったという。
人形町交差点直前のドラックストアの前に玄冶店と掘られた石柱が立っています。歌舞伎の切られ与三郎や春日八郎が歌ったお富さんの歌詞にも登場する名なので、ご存じの方も多いはず。
「玄冶店」の地名は、江戸時代、ここに医者岡本玄冶(1587年~1645年)が住んだことに由来し、歌舞伎「与話情浮名横櫛」の舞台ともなりました。玄冶は幕府の医官で、将軍家光が痘瘡を病んだ時、見事にこれを全快させて、一躍その名を高めた名医で、子孫も九代この地にその職と名跡を継ぎました。(中奥観光協会のHPより)
詳しくは中央区教育委員会の案内板(写真)を参照してください。
人形町の交差点をわたり、はす向かいに当たる地帯の裏路地に入って見ました。
黒板塀の前に植木鉢が並んでいますね。ここは「よし梅 芳町亭」という料理屋さんです。
建物は関東大震災後に待合として建てられ、一時は女優の花柳小菊の住居だったといいます。天井に屋久杉を使ったり、波板ガラスの窓が残されていたりと、職人の芸が生かされた作りで、國の重要文化財に登録されています。
玄関先に出されたお品書きには「鍋コース9,000円より、ふぐコース18,000円より」とあり、年金生活者には無縁の店でした。
よし梅の路地を抜け、十字路の先へ進むと、また黒塗り格子の料理屋さん。古い板看板を掲げた「きく家」の本店です(日本橋人形町1-5-10)。懐石料理と酒が美味しいといいますが、ネット情報によると、料理はカウンターが14,700円、個室が16,800円(ともに1人前)!!
路地で白いクレマチスが咲いていました。路地を抜けた先は、中央区立日本橋小学校でした。立派な建物ですね。
(続く)
この記事へのコメント
あいべん
長さんには申し訳無いのですが神社より
今日の下町が好きです。
老舗の刃物やさんの看板,石柱時代を感じますね。
料亭・・値段設定また東京ではほうがいな値段
通用してるのですね。
関西はいちりき初め吉兆までお手頃値段に
変わりつつ有ります。
客が賢くなって来てるのですね。
高級料亭の料理でもお昼だと誰もが楽しめる
値段で楽しむ事ができます。
もちろん一万円までです。
ケン坊
懐かしい春日八郎の歌が思わず口をついて...
風流な街並みと言っていいのか判りませんが、雰囲気を感じる場所ですね~
↑さんと同様に七福神よりものめり込みそう。
年金生活ならずとも料亭は全く縁の無い場所ですね!
shuuter
関東大地震後の建物ですか。
応援したくなりますね。
いつもでも商売を続けて頂きたいです。
長さん
やはり神社より、生活臭漂う下町の写真の方が良いでしょうね。
日本橋あたりでは、まだ、接待用と思われる料亭が残っているんですね。しかし、いつまでもこんな値段で通用するとは思えません。
長さん
近くに玄冶店の跡があったりして、この辺りはまさしく春日八郎の歌った「お富さん」の世界の名残りが残っているようです。
バブル期ならいざ知らず、こんな料亭が生き残っているのが不思議です。まだ、他人の懐で飲み食いするやつがいるということでしょうか。
コスモス
玄冶店の石柱は見逃してしまいました。粋な黒塀も出てきたのですね。残念!長さんの後をついていけば良かったわ。
長さん
幹事が配布した地図に載っていたんですが、見逃してしまいました。ついでなので、あちこち歩き回ってみましたよ。やはり下町情緒がちょっと残っていました。
長さん
レスが消えてしまいましたので、順番が遅くなり、申し訳ありません。
関東大震災も東京大空襲も免れた板看板が残っているなんて、嬉しいですね。古き時代がしのばれます。
ekomountain
黒い塀の料理屋さん、日本情緒あふれるいい景色です。こういう風景好きです。
nobara
黒塀の料理やなど、どなたが利用なさるのでしょ?
あの政治家さんとか?
私どもは専ら、ネットでお得情報を狙って
参りますからね~~
どなたかがご接待して下さっても、勿体なくて
よ~行けしませんわ~ヘ(^o^)/(-_-;)
松飾りはいつ取るのでしたかね~
今はやはり11日頃? 松の内は7日まで?
10日だと飾りがまだあるのですね(*^-゚)⌒☆
長さん
「お富さん」、当時は大流行でしたからね。我が家に新しい「電蓄」が来た日、父が真っ先に買ったレコードでした。黒塀の料理屋さん、いかにも日本橋という雰囲気でしたよ。
長さん
こんな高い料亭、誰が利用するんでしょう。自腹を切らずに他人のお金で飲み食いできる連中でしょうね。
江戸時代からかどうか知りませんが、松の内は15日までらしいです。それで、15日にはどんど焼き(左義長)でしめ縄や門松なんかを燃やすんでしょう。11日は鏡開きの日だったかな。
無門
見越しの松は見えないけれど
粋な黒塀のお屋敷
江戸下町の雰囲気
いいですね
もう一度人形町へ
お気持ちわかります
ゆいはな
特に堀留町交差点。
高級料亭は、どんなお人が入るのかしら…と
横目に見ながら通り過ぎたものです。
三味の音色と小唄の声が聞こえてきそうです。
長さん
広い敷地の料亭なら必ずと言ってよいほど松が植えられていたでしょうが、狭い路地に面した料亭ではそうもいきません。でも、もっと探せば、歌に歌われたような光景に出会えるかもしれません。
長さん
高級料亭、どんな人たちが利用するんでしょう。さぞ美味しいのでしょうね。夜なら、三味の音も聞こえてきそうな雰囲気でした。
信徳
なおさん
伝統ある古いお店では、料理も美味しいのでしょうが、16000円前後とはいいお値段ですよね。
小学校とも思えない、立派な建物に通う生徒さん、いいですねえ。
目黒のおじいちゃん
残してほしいものですね。世田谷区内に代官屋敷というのが残存され見学もできますが、私の友人宅はもっと古く時々は映画テレビのロケなどにに使われています(一般公開は×)
寿々木
バク
いい雰囲気ですね
せめてランチを安く提供して欲しい!
長さん
この地域は東京大空襲の被害に合わなかった地域でなので、くまなく探せば、古い建物がもっとありそうな気がしました。
長さん
玄冶店や谷崎潤一郎の生誕地を見に戻ったのですが、ついでに近辺をぶらぶら。思わぬ収穫がありましたよ。
どんな味がするのか我々庶民には分かりませんが、こんなところで飲み食いできる人種がまだいるんですね。
長さん
木造家屋だって、手入れを怠らなければ100年以上持つそうですね。保存してもらいたいですが、文化財に指定されたと言っても、やはり維持費用がバカにならないのでしょうね。
長さん
こんな高級料亭がいまだに営業できているというのが不思議なくらいですね。
長さん
この値段でお客が来るとすると、ランチまでやらなくても営業が続けられるのでしょうね。
Tatehiko
京都でも近畿地方のローカルテレビが老舗を探して一つの路地を時間を限って散策する番組があります。
こういうのを見ると、このブログ同様に面白いものですね。
長さん
懐古趣味と言う訳でもありませんが、コンクリートジャングルの中で、老舗に出会うとなんか嬉しくなっちゃいますね。
行き当たりばったり
長さん
人形町は帰りの最寄駅でもあり、玄冶店の印だけでもカメラに収めようと戻ってきたんです。でも、まだ明るいし、近所を散策する気になったのです。犬も歩けば何とやらというやつですね。