左右の駐車場に挟まれて建っています。前後左右から土地を削られ、鳥居の半分は歩道にはみ出してしまいました。
恵比寿像は徳川家康から賜ったものだそうで、運慶作と伝えられていますが、社殿の中は暗く、窺い知れませんでした。
徳川家康が江戸に入府する以前、今の東京駅付近にあった宝田村の鎮守。宝田村は慶長11年(1606)江戸城の拡張に伴って日本橋に移転し、大伝馬町となった(現在の日本橋本町三丁目と日本橋大伝馬町一丁目あたり)。この時、大伝馬町の名主となった馬込勘解由が邸内に奉斎し、旧村名に因んで宝田稲荷と称した。その後、文政年間(1818~30)に馬込邸内より現在地に遷座したという。
馬込勘解由は遠江国馬込村の郷士で、徳川家康が幼少の頃から仕え、戦の道具や兵糧の運搬を担当していたという。家康の江戸入府に随行し、宝田村に居住するようになる。大伝馬町への移転に功績があり、その名主となった。また、馬込勘解由は家康から道中伝馬役を命じられており、大伝馬町の名もそれに因むものである。なお、当社の御神体である恵比寿像は、馬込勘解由が徳川家康より拝領したものと伝えられる。
10月の大祭はべったら市として有名である。
以上は「古今宗教研究所」のHPから引用したものですが、神社の案内板と同じ様な内容です。
「寳田」恵比寿神社にお詣りしてもお金がたまる保証はありません。「貯まります」と宣言しているのは駐車場のポイントカードです。神社には立木を植えるスペースもなく、おみくじは立てかけられたフェンスに結び付けられています。
一行は神社前で解散になり、大半は日本橋三越付近まで歩いて、交流会の会場へ向かいました。
酒席の苦手な私は、見過ごしたものもあるので、人形町へ逆戻りしました。
(番外編へと続く)
この記事へのコメント
信徳
長さん
道路を拡幅するのに、神社の鳥居では、それを後退させると言う訳に行かなかったのでしょう。
コメント欄がずっとお休みなので、もう台湾に行かれたのかと思いましたよ。歳をとると無理は出来ませんので、慎重に行動しないといけませんね。お大事になさってください。
shuuter
商売繁盛の御利益が届いていないのですかね。
おみくじがフェンスに結び付けられているのは 淋しい限りです。
長さん
極限まで境内を切り詰められ、鈴を吊るスペースもありませんから、鳥居から道路に張り出させるという、苦肉の策をとらざるを得ません。
ekomountain
とはいえ、七福神巡りをされ、今年は長さんにとってきっといい年になりますね。
いいお天気
臨場感あふれる解説をシリーズで読ませて
いただきました。ありがとうございます。
1日もかからない、短時間で周れるのですね。
機会あれば巡ってみたいと思います。
nobara
それだけで素晴らしいですよね~
重要文化財にも匹敵するのではないでしょうか
べったら市は聞いた事があります。
Tポイント、バカにできないですよ~
結構貯まって重宝しています(ファミマ)
長さんは酒席はダメですか?
戻ってまでご覧になった人形町、楽しみです。
長さん
おみくじは正月7日しか売られていないようです。結ぶところがないので、フェンスを利用したのではないでしょうか。
昨年も一昨年も七福神めぐりをしたんですが、良い年だったんですかねー。今年は期待しましょうか。
長さん
道草を食わなければ2時間もかからずに回れると思いますよ。この後、周辺の見どころを紹介しますので、参考にしていただけると嬉しいです。
長さん
伝運慶作というのがあちこちにありますね。本物だったら重文でしょうね。徳川家康から拝領というのでそういう言い伝えが出来たんでしょうか。
お酒は苦手ですね。時たま妻と360ccの缶ビールを半分ずつ晩酌にします。
kaze・・・
「福」をいただいたようなそんな有り
難い気持ちになっております。
でも「有り難い」とは「難」が「有」
るということのようですので、
自分の足でお参りしないと、難を有
しないとご利益は・・・?かも知れ
ません―ですね。
あいべん
神社の鳥居だから許されるのでしょうね。
普通は道路にはみ出した物は許されないのですが
神社の鳥居なので電柱扱いで許されて
居るのですね。でも最初は多分敷地内で
道路整理の時こうなったのでしょうね。
由緒ある神社で参拝者多いのでしょうね
結んであるおみくじが物語っています。
ケン坊
都内の七福神の在り方を考えさせられるブログでもありました。
駐車場の(ポイントが)貯まりますには思わず笑っちゃいました。番外編が楽しみですね...
無門
身を削っても
周囲が発展して恵比須顔
ご利益があったんでしょうね
長さん
ありがたいの意味には、困難という意味もありますが、「またとないくらい尊い。もったいない」という意味もありますので、そちらの方でお願いします(笑)。
長さん
もとは境内に立っていたんでしょうが、道路拡幅ではみ出すことになったのでしょう。自治体も鳥居を壊せとは言えなかったようです。
我が家の近くを通る旧水戸街道に、江戸時代から続く旅籠の建物の庇が完全に歩道に出ている例があります。拙ブログの記事はこちら↓。
http://kobacho-niwaijiri.at.webry.info/200709/article_28.html
長さん
土一升金一升と言われる都心で、いまだに多くの神社が残されていることは驚きでした。それが新たな七福神めぐりを生むことになったのでしょう。
長さん
なるほど、身を削って周囲に福をばらまいたんですね。
目黒のおじいちゃん
長さん
なるほど、建築基準法に特例があるんですか。歴史的建造物を保護するためには当然の規定でしょうね。
shizuo
戦の道具や秤兵糧の運搬を担当、大伝馬町への移転に功績…。
学習し、いろいろ知って見れば、尚一層興味が、
またこうして、ブログに綴ることによって、深く理解できますよね~。
「貯まります」。
よ~く読むとポイント、長さん嘘は言ってませんね^^。
長さん
古い神社を訪ね歩くと、思わぬ歴史の勉強をさせられますね。そこが面白いところで、ごれもご利益の一部でしょうか。
神社の脇に掲げられたのぼり、慌て者は間違えそうです。