松島神社の次は、五番目の末廣神社(日本橋人形町2-25-20)です。ここには毘沙門天が祀られています。
松島神社から末廣神社に向かう途中、甘酒横丁を横断します。甘酒横丁を右手(北東)に向かうと明治座に至ります。
甘酒横丁を横切ってから1分ほどで、古風な家を発見しました。「歯科多和田」と看板が出ていますが、今は営業していません。その左手「人形町㐂(喜)寿司」で、こちらはまだ営業しているようです。ネット情報によると、共に戦後間もなくの建築とのことです。この交差点を右手前に曲がると間もなく末廣神社です。
末廣神社に到着しました。
三方をビルに囲まれたこじんまりした神社です。
創建は慶長元年(1596)以前、狛犬が歴史を物語っています。
遊郭の葭原(吉原)がこの地にあった当時は葭原八ヶ町の、明暦の大火で葭原の浅草移転後には難波町、高砂町、住吉町、新和泉町の四ヶ町の氏神として信仰されているそうです。社号の起源が立札に書かれています。
「は組」は江戸町火消の組名。石碑にも立木にもオオイタビ(クワ科イチジク属)が巻き付いていました。手水舎に和手拭いが下げられているのは如何にも下町の神社の雰囲気。
次は、六番目の笠間稲荷人社(寿老人)に向かいます。
その途中で見た、美しい色のマンリョウの実です。右下は、創業明治38年の洗い張り屋さん。何をする店か、若い人はご存じないでしょうね。
(続く)
この記事へのコメント
あいべん
ビルに囲まれた神社・・やはり東京なんですね。
京都でも川原町あたりにはビルの谷間の
神社仏閣が有りますが何だか複雑な
気持ちですね。
時代の変化に何時まで神社仏閣が付いて
いけるのか不要な心配をします。
昨日の神社でも氏子の高齢化の話が出てました。
若い世代は余り熱心な氏子が居ないと嘆いて
居ましたね。
長さん
京都でも繁華街の近くにある小さな神社は、氏子の減少と相俟って、存続の危機にさらされていると言っても良いでしょうね。
何事にも無関心な若者が多いのは氏子という問題に限らず、地域の活動に共通した悩みだと思いますね。
ぶたねこ
当時(吉原)あの花魁で有名な所ですか?
昔、山谷と言う言葉も聞きましたが
この辺ですか
下町の神社の雰囲気がなんとも素朴で良いですね。
珍しいものを有難う御座いました。
shizuo
やっぱりお正月は「七福神」♪
行けないわたし。
長さんのこのページで。
それではご利益ないですか^^。
長さん
江戸時代の花魁たちもこの神社にお参りしたかもしれませんよ。なお、山谷は台東区から荒川区あたり、現在の吉原の近くです。
長さん
江戸時代に始まった七福神めぐり、今もお正月の行事ですね。
ブログの写真を拝んだらご利益があるかもですよ(笑)。
なおさん
ケン坊
長さんじゃありませんが、多分”死語”になってしまいましたかね?
無門
建物そのものは
残ることはないでしょうが
心を伝える
情緒だけは伝えていきたいですね
長さん
この一角だけ昭和レトロにタイムスリップした感じでした。裏通りを探せばまだあるかもしれませんね。
長さん
下町のおばあちゃんたちは着物がいまだに好きなんでしょう。それでなければ洗い張り屋は成り立ちません。昔は着物を仕立て直して切るのが普通だったですね。母親が生きているころ、我が家にも洗い張り用の干し板がありました。
長さん
細い路地に入ると、家はモルタル建てやビルで木造は少ないものの、道路わきに植木鉢が並んでいたりして、まだ下町情緒が残っています。
nobara
明治座のお近く?なんですか~
洗い張りって、昔は何でも大事にしていましたね。着物だからの再利用法だと思います。セーターだって解いて伸ばしてまた編んでた時代がありましたもの。
今は製品がお安くて、いいのか悪いのか?
銀座などでも一歩路地にはいると植木鉢の文化が佳い意味で残っていますよね~これは東京(狭小住まい)の文化かしら~ 広い所ではそこまでする必要もないですもんね~
時として芸術と感じます♪
目黒のおじいちゃん
大切なものに注連縄ですね。
長さん
甘酒横丁をまっすぐ東に進むと明治座なんです。観劇目当てらしき和服のご婦人が歩いていたりしましたよ。
昔の和服は高価でしたね。私の母親は染め直ししたりして着ていました。
下町の狭い路地は所狭しと鉢が置いてありますね。今年こそ、谷根千でそんな雰囲気を味わってみたいと思っているのですが…。
長さん
石碑のしめ縄や手水舎の手ぬぐいなんかを見ると、ご近所の人たちがこの神社を大切に思っていることが分かります。地域の誇りでもあるようです。
ekomountain
洗い張り屋さん、今も営業されていることに、驚きです。着物を着る人が少なくなり、お正月も着物姿見かけなくなりました。東京は人口が多いから成り立つのでしょうか?
shuuter
洗い張り屋 まだ成り立つのでしょうか。
昔 家の前に竿建てて 洗い張りを母がやっていたのを
思い出しましたよ。
着物を着る人も少なく 家庭で洗い張りするのは場所もありませんね。
長さん
神社の維持保存は近隣町会や氏子さんたちの努力がないとできないのではないかと思います。
洗い張り屋さん、歴史があるので固定客を持っておられるのでしょう。今では、フリー客相手にできる商売ではないでしょうね。
長さん
この洗い張り屋さん、お得意さんが多いので商売が成り立っているのではないかと思います。昔の人は和服が縫えないとダメだったらしいですから、洗い張りも自宅でやったのでしょう。
hiro
小梨
長さん
着物を着る人はめっきり減りましたね。洗い張りをご自宅でやる時代は過ぎたのかもしれませんね。
板からはがす時の音、私も記憶にありますよ。
長さん
昔は洗い張りは自宅でやるものでしたね。母親もそうやっていましたよ。今は自分で仕立て直すことが出来ないから、洗い張りも必要なくなりました。