10月13日、坂本龍馬のゆかりの地巡りに参加しました。
外堀通りを東京駅八重洲口方面に進みます。呉服橋交差点を渡ると右手は鉄鋼ビルです。JAL東京支店勤務時代、第二鉄鋼ビルで仕事をしていました(1969年から10年ほど)。写真は、第二鉄鋼ビルで、JALの店舗があったところです。
東京駅八重洲口は大きく変貌した場所です。大丸が入っていた駅ビルや観光会館ビルなどが撤去され、南口と北口に高層ビルが出来ています(南棟は完成。北棟は工事が進行中)。中央口は4階建て程度(未着工)、風通しを良くしてヒートアイランド現象を緩和するのだとか。
東京駅前を通過し、鍛冶橋交差点を渡って、左折します。150mほどで、中央区教育委員会が建てた千葉定吉道場跡の説明版があります。
千葉定吉(NHKの龍馬伝では里見浩太朗が演じた。以下同様)は千葉周作の弟で、周作の玄武館を手伝った後、この地に「小千葉道場」などと通称される道場を開きました。坂本龍馬(福山雅治)はここに入門し、定吉の息子千葉重太郎(渡辺いっけい )のもとで修行に励んだと言われています。
小千葉道場で竜馬の剣術修行の相手になったのが重太郎の妹・千葉佐那(貫地谷しほり)で、竜馬が免許皆伝になった後、二人は婚約したといいます。しかし、竜馬は幕末動乱の中、佐那を忘れ、楢崎龍(真木よう子 )と結婚してしまうのです。
その後、私たちは東京都庁後にできた東京国際フォーラムに移動しました。写真は鍛冶橋交差点から撮影したガラス棟です。
東京国際フォーラムの辺りに土佐藩の上屋敷がありました。竜馬が最初に江戸に来たときに滞在したといわれています。旧都庁には土佐藩上屋敷跡という表示があったそうですが、現在はなにも表示はありません。
上の写真の左手前に写っている石碑です。正面に東京府廰舎、左側面に大正六年七月と彫られています。
東京国際フォーラムの向かい側(中央郵便局寄り)には、東京ビルディングがあり、私がJALに入社し、本社で働き始めた思い出の地です。当時は8階建のビルでした。当時の面影と言えばプラタナスの並木くらいです。
(続く)
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この記事へのコメント
なおさん
ケン坊
千葉定吉道場跡は案内板だけでしたか。残念ですがしょうがないですね。
(土佐藩上屋敷は何も無くなったとは...これも歴史ですかね)
長さん
東京駅界隈は若き日の思い出の地なのです。あれから数十年、かなりの変貌で驚いています。
竜馬は千葉定吉の道場へ1kmほど歩いて通ったそうです。
長さん
丸の内側もかなり変わりましたが、八重洲口の変貌ぶりには目を見張るものがあります。大丸東京店は北棟でしっかり営業していました。
都心で史跡を残すのは大変です。大名の上屋敷はかなりの数ですから、いちいち表示などしていられないのでしょう。
目黒のおじいちゃん
の宣伝ツアーが出発しようとしたのに出逢い、オープンカーに乗り込んだ美しい女性はマチ子巻きスタイルだった織井
成子だったのかな~?田舎育ちの高校生には眩しかった。
日本中のお嬢様たちが白いマフラーをつけ、ラジオ番組がはじまる夕方になると街から人影が消えたという時代でした。
先日久方ぶりに八重洲を歩き、大丸ビルが消えているのを
視認しました。
長さん
おじいちゃんの就職先もこの辺りでしたか。昭和25年というと、私の一回り上ということになりますね。
数寄屋橋は子供の頃都電で通過した記憶がありますが、私が就職したころは埋め立てられた後でした。
先月初めて新らしい大丸で買い物をしましたよ。
菜の花
東京駅も利用した事はあるのですが、歴史を想う事をしておりませんでした。
長さんのように多方面のご興味があると街歩きも楽しみがいっぱいですね。
長さん
NHKの龍馬伝、私はほとんど見ていないのですが、俳優の名前を入れてみました。
好奇心が強いので、どこを歩いても興味のあるものがいっぱいです。
無門
時空を超えた
龍馬探訪記
道行く人とは違った
思考方法でその地を見るのは
面白いですね
nobara
この辺り、わたしも凄く懐かしいです。
長さんと同じような時期(後半)に私もこの近くで仕事していました。鍛冶橋の都庁舎の食堂やジャノメさんの社食など渡り歩いたものです。今でもあの辺り、懐かしいです。荻窪に住んでいたので如何に通勤ラッシュに遭わないようにするか日々悩んでいました。丸の内線、東西線、中央線、替えながら(それでも混雑で肋骨軟骨骨折などしたんですよ)やっぱり中央線で八重洲に出るのが一番だったかナ~地方の人にその話をするとラッシュというのが信じられないと云われてしまいます。通勤も命懸け~でした。
今度、テーマを決めてウォーキングするのもいいかもですね。
kaze・・・
普請中の町だ」といったようですが
いつもどこかでスクラップ&ビルド
で工事が・・・変わらない町でなく
永遠に変わり続ける町なのでしょう。
そうですか、龍馬の青春の一ページ
はこのあたりで書かれたのですね。
あいべん
私も嫌いでは無いですが竜馬縁の地めぐり
までは・・。京都でも其れに似た企画が
京阪電車主催で行われましたが(職場仲間
では無く)私は行きませんでした。
今回長さんの竜馬ゆかりの地めぐりは
東京観光のつもりでの拝見です。
ぶたねこ
楽しいでしょうね、東京駅、、懐かしいです、
子供が小さい頃皇居を見学に行つた時
周囲をあるきましたが、その後の東京駅
乗り替えの地下の広い事に吃驚でした。
40年前浅草橋に努めて居ました、一昔前、
その後ずいぶん変わってしまって
もう歩けないですね。
都電の響きも懐かしいです。
懐かしい話又、聞かせて下さいね。
shuuter
私は東京はうといのですが、さしずめ機会があればはとバスでも乗って案内してもらいますか。
長さん
定年になってから都内を歩くことはほとんどありませんから、すっかりお上りさんになってしまいましたよ。
長さん
nobaraさんもこの辺りにお勤めでしたか。ジャノメの社食には行きませんでしたが、都庁の地下食堂や都議会食堂にはたまに行きました。当時は渋谷区幡ヶ谷に住んでいたので、通勤は新宿乗り換えで中央線でした。通勤ラッシュはすさまじかったですね。肋骨骨折とはお気の毒なことでした。
長さん
東京駅周辺が大変貌を遂げたのは国鉄民営化で周辺の国鉄用地が売りに出され、再開発が進んだからですね。丸ビルも高層ビルに変わってしまいましたし、変化のスピードが速いようです。
長さん
竜馬好きの人は確かに多いようですね。私は特に好きと言う訳ではありませんが、年を取ると何かにかこつけて歩かないと、都内の変化を見ることもできませんからねー。
長さん
この辺りは竜馬が青春時代を過ごした地ですが、私の青洲時代の思い出の地で見あります。皇居のあたりは昔のままですが、丸の内側はかなり変わったと思いますよ。一方で、間もなく東京駅が昔の姿でよみがえります。
浅草橋でお勤めされていましたか。あの辺りは小さいビルが多く、まだ昔の面影が残っているのではないでしょうか。
長さん
今回紹介した道場は千葉周作の弟の道場です。2回目に江戸に出てきた若い竜馬はここで剣術修行に励むとともに、見聞も広めたことでしょうね。
東京巡りははとバスが便利ですね。外国人にも人気があるようです。
hanasaku
千葉佐那はかわいそうですね。いつの時代も男性は移り気という事でしょうか。いや今は反対ですね。クスッ!
長さん
坂本龍馬も千葉佐那と婚約まで交わしていながらちょっと酷いですよね。しかし、佐那は死ぬまで龍馬を思っていたということです。ちょっと哀れですね。