都内で坂本龍馬ゆかりの地巡り(その1・玄武館道場跡)

 10月13日、日航労組OB・OG会主催の「坂本龍馬ゆかりの地巡り」に参加しました。企画と案内は当会会員で、某歴史研究会の代表を務めるほど歴史に造詣が深いTさん。
 11時にJR神田駅に集合したのは男性10名、最初の目的地である「玄武館道場跡」に向かいました。
 玄武館道場跡は神田東松下町の千桜小学校跡地にありました(実際にはやや西寄り)。道路と小学校を結ぶ通路のような場所で、門柱には小学校名の表示盤がはめ込まれていたようです。
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 玄武館道場は北辰一刀流の創始者・千葉周作が文政5年(1822年)、日本橋品川町に開いたものですが、文政8年、当地に移転しました。千代田区の案内板です。
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 Tさんから説明を聞く一行です。Tさんによると、竜馬が江戸に来たのは3回、1度目は15か月くらい、2度目は2年くらい、3度目は土佐藩脱藩後とのことで、玄武館道場に通ったとすれば、2回目の時ではないかという。
 なお、北辰一刀流玄武館道場は、現在も杉並区善福寺に実在します。
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 千葉周作と東條一堂を称える「右文尚武」の石碑(下のカコミ参照)。
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 昔、この辺りには不忍池より大きな「桜が池」があり、茶店の娘・お玉が身を投げたことから「お玉が池」と呼ばれるようになったという。歴史小説などに登場する「お玉が池の道場」とは玄武館道場のことだったのです。




 坂本龍馬 は、剣術修業のため、北辰一刀流開祖、千葉周作道場「玄武館」にも行ったことがあるようです。「玄武館」の隣は儒者東条一堂の「瑤池(ようち)塾」で、門下生は、剣術と学問の両方励めると、双方人気を博しました。「右文尚武(ゆうぶんしょうぶ)」の石碑は、文武両道を表しています。
 (千代田区観光協会のHPより)

 神田から八重洲口方面へ徒歩で移動しました。
 ピラカンサをついばむ鳩。
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 入居表示板に「財団法人魚価安定基金」とある。へー、こんな団体があるんだ。
 この団体の目的や事業については興味のある方はこちらへ。
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 東北新幹線の高架上にさらに線路を作るのでしょうか。
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 調べてみたら、高崎線、常磐線などから直接東京駅に乗り入れる東北縦貫線の建設工事で、神田付近が2階建てになるとのこと(完成は2013年)。その工事現場の囲みに江戸時代の地図が描かれていました。
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 街角で見かけたノボタン(ノボタン科ノボタン属)です。
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 (続く)

この記事へのコメント

  • なおさん

    若き日の龍馬が剣術修行にはげんだ千葉道場跡をご覧になりましたか。神田お玉が池というと、時代劇、時代小説ではおなじみのところですね。
     歴史にくわしいひとがいるといろいろ勉強になり、いいですね。
    2011年10月15日 05:23
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    お玉ヶ池がどこにあったのか分からなかったのですが、ここにきてやっと分かりましたよ。
    T君はこうした歴史物の案内にはうってつけの人物なんです。
    2011年10月15日 07:40
  • 無門

    こんにちは

    なるほどここが龍馬の遊学先ですか
    青春の血が燃えたののでしょうね
    アウトローの世界に入った
    平手造酒もこの道場だったんですね
    2011年10月15日 07:45
  • nobara

    大河ドラマの、場面を思い出しています。
    ここのお嬢さんが生涯、龍馬の妻として埼玉の方でしたか、菩提があるそうですね~
    お玉が池も、その響きがいいのに哀しい出来事の名残だったとは・・・三波春夫さんの浪曲混じり演歌が浮かんできました。楽しそうな歴男さんご一行ですね(笑)
    2011年10月15日 07:46
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございます。
    平手酒造は天保水滸伝の登場人物ですが、実在の人のようですね。玄武館の門弟は3600人といいますが、平手酒造も門弟だったという説がありますね。後に新選組に加わった人たちも学んだようです。
    2011年10月15日 08:20
  • 寿々木

    温泉巡りからお帰りなって、今度は坂本龍馬ゆかりの地巡りですか、頑張っていますね。
    2011年10月15日 08:33
  • 長さん

    nobaraさん、コメントありがとうございます。
    龍馬の妻の話は、今後紹介する予定ですが、この道場ではなく、千葉周作の弟の道場の方なのです。その時に、NHKの龍馬伝に出演した俳優の名前も紹介しましょう。
    三波春夫というと「大利根無情」ですね。今回はいきませんでしたが、お玉稲荷というのもあるそうです。
    2011年10月15日 08:39
  • 目黒のおじいちゃん

    楽しいツアーになりそうですね。もしも竜馬が明治時代まで活躍していたら今の日本はもっともっと素晴しい国になっていたであろうなどと思いをめぐらしています。
    2011年10月15日 09:23
  • 長さん

    寿々木さん、コメントありがとうございます。
    今回は日中だけですから、スケジュールに入れていましたよ。でも、たくさん歩きました。
    2011年10月15日 09:54
  • 長さん

    目黒のおじいちゃん、コメントありがとうございます。
    竜馬が暗殺されたのはわずか33歳の時ですから、その後の活躍を想像すると日本に大きな変革をもたらしたと思われますね。
    2011年10月15日 10:03
  • shuuter

    坂本竜馬 妻が高知ですので 親しみを覚える人物です。
    幕末から維新にかけては大きな人物がいたのですね。

    今の政治家にも将来を見据えた人物が出てきてほしいですね。
    2011年10月15日 10:14
  • ケン坊

    昨年の大河ドラマを思い出しながらブログ見てます。
    やはり歩くといろんな場所に出会えるんですね。
    先日、仲間が東京をガイド付きクルージング(もちろん陸も歩いたそうです)で行ってきて、自慢気にウンチクを語っていました。
    ひたすら”そうなんだ”と聞き役に徹しましたが。そんな企画でもするかな~ 今日明日と雨模様だし...
    続きが楽しみです。
    2011年10月15日 10:53
  • 長さん

    shuuterさん、コメントありがとうございます。
    奥様は高知ご出身ですか。桂浜にも銅像がありますね。
    竜馬の活躍は20代から33歳までですから、もっと生きながらえれば、さらに大きなことをやっていたでしょうね。
    2011年10月15日 11:01
  • 長さん

    ケン坊さん、コメントありがとうございます。
    実際に歩いてみると、思わぬことや物に出会いますから、こういう「ぶらり旅」も面白いですね。
    栃木県内にも偉人の足跡がある場所が多いのでしょうね。
    2011年10月15日 11:03
  • あいべん

    NHKのTV番組で見ましたが、今竜馬が此の地に
    来れば余りの変貌に驚くでしょうね。
    京都にも竜馬縁の地が有りますが東京の
    様な変貌はしていませんので京都のほうを
    好むのでは・・・。
    2011年10月15日 14:36
  • 長さん

    あいべんさん、コメントありがとうございます。
    今回廻ったゆかりの地は当時の面影は皆無で、会社員を辞めて8年しか経たない私が驚くくらいの変貌ですから、竜馬が見たら腰を抜かすかもですねー。
    2011年10月15日 17:48
  • hanasaku

    こんばんは
    お玉がなんで身投げなぞしたのかネットで見てみました。二人の男性に言い寄られたのだそうで。悩んだらお金持ち選べばいいのにって馬鹿な私です。
    2011年10月15日 18:41
  • 長さん

    hanasakuさん、コメントありがとうございます。
    2人の男に言い寄られたら嬉しいでしょうに、当時の若い女性の考え方は現代人には理解できませんね。
    2人がかなりしつこく、逃れられなかったとか、お玉はすでに別人と叶わぬ恋に落ちていた、なんて解釈はいかがでしょう。
    2011年10月15日 19:03

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