天童で宿泊した旅館(写真、左下)の隣のブロックに広重美術館(写真、右下)があります。チェックインして、直ぐに見学に行きました。
この旅館の裏手が滝の湯という旅館で、妻が「15年近く前に泊まった」と言っていましたが、すっかり忘れていました。広重美術館の1階左側はJTBの店舗でした。
広重美術館では、作品保護のため毎月展示替えが行われており、今回展示されていたのは初代広重の「東海道五十三次之内」(通称:行書東海道)の山田屋版55枚揃いなどでした。
作品は撮影禁止のため、2階ホールから展示室を写しました(左下)。入り口横に置いてあるのは「二八そばの屋台」です。そのころ、奥様方は1階ホールの一角で、版画のできるまでをビデオで学習中(右下)。
今回展示の行書東海道の絵葉書が売られていなかったので、別の版の箱根(左下)と原(右下)を買い求めました。
天童と広重(広重美術館のはじまり)
江戸時代後期、江戸詰めの天童藩士や藩医の田野文仲と交友のあった歌川広重(1797~1858)。当時、天童織田藩は財政が苦しく、藩内外の裕福な商人や農民に献金を募ったり、借金をしていました。その御礼や返済の代わりとして江戸で有名な浮世絵師、広重に肉筆画を描いてもらいました。この一連の作品群が「天童広重」と呼ばれています。当時は200~300幅くらい描かれたといわれていますが、現在天童市近郊で確認できる数はわずか(19幅)となってしまいました。こうした広重とのご縁にちなんで、生誕200年にあたる平成9年4月、湯のまち天童に広重美術館が誕生しました。 (美術館のリーフレットから)
2階の図書資料コーナーには浮世絵や図録、美術書など1万冊が閲覧可能です。右下は、閲覧した図録から「天童広重」(上記囲み参照)のうち、左 龍田川之紅葉 右 吉野之桜(右ページはその部分)。
階段室の壁に貼ってあった江戸時代の「大日本行程大繪図」です。左下はその江戸周辺、右下は東北部分(左端中央やや上に天童の文字が見える)。
大浴場は男女とも内湯のみ。泉質はナトリウム、カルシウム、硫酸塩泉。源泉温度69℃ 。
夕食前、就寝前、朝食前の計3回入浴。
この記事へのコメント
shuuter
東北温泉旅行とは 被災地の応援を兼ねての旅 いい企画ですね。
広重美術館 浮世絵には興味がありますね。
これは見ていて飽きが来ませんね。
日本が世界に誇れる文化です。
長さん
直接の被災地ではないのですが、東北方面への観光客が減っていると聞いたので、出かけてみました。
浮世絵も現物は良いですね。今回はあまり目にする機会のない行書東海道が見られてよかったです。
目黒のおじいちゃん
なおさん
宿の夕食も豪華で美味しそうです。温泉三昧ということで3回も入りましたか。いいですね。
ケン坊
ケン坊はもっぱら夕食に関心が...>笑<
素晴らしい夕食ですね~ この他にも未だあるとは驚きです。本場の”いも煮”を口にしたことは...一回だけありました(昨年の花笠祭りで)。
↑ >温泉三昧で3回入った とは恐れ入りました。戴です。
無門
広重と天童
意外な組み合わせでしたね
私も東海道は
今の所箱根から二川までしか
歩いていませんが
由比の広重美術館では
五十三次絵葉書保栄版
一式買いましたよ
nobara
フラッシュ焚かなければOKの所も多くなりましたが・・
山形は未踏の地なので興味があります。
温泉は夫は5回は入ります(1投宿)が
私は長さんと同じかな・・
お食事、美味しそう~
種類が多くて目の保養にもなりますね~ジュルゥー
長さんもいろんな所に行かれていますね~
長さん
歳が歳ですから自然と昔のものに目が行くことになります。この後も文化に触れる場所へ行きましたからお楽しみに。
長さん
広重の五十三次でよく目にするのは、最初に刊行された保永堂版ですが、今回は行書東海道ということで、初めて見るものが殆どでした。行ってみる価値がありましたよ。
長さん
造詣が深いということでもないのですが、こういうのを見て歩くのは好きな方ですね。
山笠祭りは昨年仙台の七夕祭りと一緒にご覧になったんでしたよね。ここ天童でも行われたのですが、ちょうどひと月前でした。
温泉は必ず3回以上入ります。
長さん
広重と天童、私も何故と思いましたが、行ってみてその謎が分かりましたよ。
箱根から二川までだと半分近くになりますね。続きの予定はあるんですか?
由井にも広重美術館があるんですね。
長さん
美術館は撮影禁止が殆どですね。作品保護も勿論ですが、複製が作られるのも困るのでしょう。
noba旦さんは1泊5回の入浴ですか。3回は普通でしょうね。
あいべん
様ですね。
長さんが旅をすると単なる旅行でなく歴史、植物
花、と色々収穫が有りますね。
私なら単なる旅行で終わりなのに。
長さん
東北地方といっても西半分がメインの旅だったので、地震の被害を見ることは少なかったですが、それでも棟瓦がまだブルーシートをかぶせたままの建物をちょくちょく目にしました。
今回は温泉地という点を線で結んだ旅でしたが、ルート上であちこち寄り道しました。
hanasaku
思わず最初に旅館の夕食をじっと見つめてしまいました!温泉で泳ぐと気持ちいいなとついバカな事を考えてしまいました。
菜の花
織田家の前任地の小幡の楽山園は群馬県ではたった一箇所の武家庭園だとか、現在、県をあげて復元整備に力が注がれております。
http://www.town.kanra.gunma.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&DM=jopvfzptijjjxbub&Cc=7d5c1b0a1f1434b
私は3月に信雄以下七代の墓地にお参りしました。
行き当たりばったり
ぜひ行ってみたくなりました。
食事がカラフルなお皿にのせられて、食欲をそそられます。
長さん
この旅館は団体がメインなようで、料理も作り置きが多かったのは残念ですが、見た目は美味しそうですよね。
歳がいってから温泉で泳ぐのはやめましょう(笑)。
長さん
織田家の前任地は甘楽町でしたか。ご案内のHPを拝見しました。織田信長の次男が信雄で、小畑藩は8代続いたそうですね。
楽山園の完成は来年だそうで、楽しみなことですね。
長さん
天童と広重、こんな縁があったなんて驚きですね。それに、広重が大量に肉筆画を書いていたことも驚きでしたよ。
旅館の料理というのは見た目にも美味しそうにできています。