本間美術館の本館は本間家の別邸だったところです。別邸があるなら本邸があるはずで、係りの方に聞いてみました。すると、美術館から1Kmほど南にあり、公開されているとのこと。早速行ってみました。
本間家の旧本邸は、板と白の漆喰でできた塀の中、平屋建ての建物でした。左下の写真の、赤い幟が立つ手前の長屋門から入場します。
本間家旧本邸は、三代光丘が幕府巡見使一行の本陣として明和5年(1768)に新築し、荘内藩主酒田家に献上し、その後拝領した。
この建物は、母屋桁行33.6m、梁間16.5mの桟瓦葺平屋書院作りです。表からみれば、二千石旗本の格式を備えた武家屋敷造りで、その奥は商家造りという、二つの建築様式が一体になっている珍しいもの。武家屋敷は無節・正目の檜や欅を使用する。山形県指定文化財。 (公式リーフレットなどから)
玄関と樹齢400年を超える赤松。本間家では「門かぶりの松」と呼んでいます。右下は妻撮影。
家紋入りの瓦にお大尽ぶりが伺える。庭はさほど広くない。内部は撮影禁止でした。
長屋門の向かいに別館「お店」(おたな)があります。総2階ではなく、軒の高い平屋で、本間家の日常生活はこの建物たったそうです。
本間家の収入は地主業、回船問屋業、金融業、倉庫業がメインですが、薬なども卸していたようです。
左下は帳場で実際に使われていたもの。右下の看板には当時の薬名が書かれています。
明治時代から使われていた金庫です。鉄板の内側に砂を詰めた耐火金庫で、大は2トン、小は1トンあるとのこと。描かれた家紋は裏紋で女性が使うもの。金庫の管理は女性の仕事だったのでしょうか。右下は金庫のダイアルですが、数字ではなくイロハでしたから、国産の金庫ですね。
説明の女性係員から聞いたことですが、本間家は総収入の3/4を公共事業や荘内藩への援助などに使い、残りを私生活と2700人にも及ぶ小作人の給料にしていたとのことですから、見かけより大変だったようです。本間美術館で紹介した庭園も、農作が出来ない冬場の失対事業だったとのこと。どこかの国の大企業に聞かせたい話です。
2日目の宿は、もうすぐ秋田県というところにある湯の田温泉にしました。宿へ向かう途中、そして、秋田県に入っても、いくつもの風力発電機を見ました。右下は、湯の田温泉の歴史です。
旅館の夕食は、この日に水揚げされた海のものづくし。見栄えはよくありませんが、どれもおいしかったです。
湯の田温泉は、含炭酸泉ヨードブロー食塩泉。泉温は28℃で、湯船は加温、加水、濾過したものでした。この日に2回、翌朝1回の3回入湯。
(続く)
この記事へのコメント
shuuter
北前船を所有し回船問屋で財を築いたのですか、土地柄それを許すものがあったのでしょうね。
hanasaku
もう圧倒されて言葉がありません。
あっご飯だ・・・でもお魚がいっぱいだ!顔がついてないから食べられます。さざえのつぼ焼きお代りしたいです。
長さん
下世話な話になりますが、本間美術館の所蔵品が「お宝鑑定団」に出たとすると、うん百万円なんて鑑定額が続出するでしょうね。
荘内米という旨い米が出来たのも一因でしょうね。
長さん
旅館の夕食で魚づくしというのは初めてでしたが、新鮮なものだけにおいしかったですよ。
ケン坊
ところで本間家は多角経営だったんですね。地主業から薬まで幅広く、回船問屋だから”何でも屋”的に見えますが、ちゃんと理に適った何かがあるんでしょうね?
夕食が所狭しとお膳に載ってますが、魚好きのケン坊には堪りませんね>笑<
なおさん
秋田に近い湯の田温泉にお泊りでしたか。おさかな美味しそうですねえ。
寿々木
長さん
まさに多角経営だったんですね。加えて、酒田のインフラ整備や、砂防林の造成などにも取り組んだといいますから、すごいですね。
こんなに魚尽くしの料理は初めてでした。
長さん
庄内藩への貢献が認められて2千石扶持の格式を許されたのだそうです。今で言う献金額は第2位の倍以上だったといいます。
新鮮な魚料理で美味しかったですよ。
長さん
樹齢400年ですから、この屋敷を建てたときには既に100年以上経った赤松ですね。大工さんも大変だったでしょうね。
コスモス
まだ2日目とは思えない詳しい説明をありがとうございます。
無門
地域住民の事に配慮して
努力してこそ慕われるのでしょうね
国民の疲弊をよそに
飢饉(不景気)になれば
年貢(税金)を上げる安易な
支配者では
郷民(国民)も見限るはず
今の政治家に
勉強しに行っていただきた場所ですね
長さん
ダイヤル番号はイロハでも、開け方は同じだと思いますがねー。
旅行記は長く引っ張ることが多いです。ご覧になる方は、まだやるのかと思われているでしょうね。
次回は花が登場しますよ。
あいべん
ビックリしますね。
私も最初可愛いな綺麗な風景の飾り物の
様な印象を持って居たのですが、近くで
見ると大きくて大きな風を切る音にビックリ
しました。
手書きの「おしながき」美味しそうな魚
普通のお皿や容器の素朴さ。
料理は美味しいはずですね、北の海の魚は
良いですね(生が駄目なのにいい加減な
コメント、ゴメンナサイ)でも、焼き物、煮物は
食べれます。
奥さん孝行の長さんは素敵です。
長さん
どこかの大企業や政治家に見習わせたいですね。
大地主は大飢饉のとき備蓄米を出し渋ったりしたそうですが、本間家はそういうことはなく、小作人争議もゼロだったと聞きました。
長さん
風力発電の風車は大きいですよ。大きいがゆえに、故障すると中々直せないのだそうです。低周波公害の問題も起こっているやに聞いています。
魚も色々な調理法があって、楽しめましたよ。
信徳
長さん
本間家の経営方針の一つに「損をして得をとれ」というのがあったそうです。インフラ整備や藩主への援助もその方針に基づいたものだったのでしょう。
行き当たりばったり
べらぼうな規模になんとも言えません。
ミキ
玄関の赤松はことに印象に残っています。
それと妻の間のあまりの狭さに驚きもして
同じ女性として残念におもいました。
前回の別邸のガラス、歪みがらすですね。
このガラス越しにお庭を見て咲いていた
アヤメが油絵のように見えて面白かったです。
長さん
大企業の金庫なら、この程度はあっても不思議ではありませんが、いわば個人企業でしょうから、いかにお金の動きがあったかが分かりますね。
長さん
旧本邸にも立ち寄られましたか。昔は民家で奥方の部屋があるのはまれだったのではないでしょうか。主の書斎も確か4畳くらいと小さかった記憶なんですが、うろ覚えです。
別邸のガラス板は明治末期の国産だそうです。当時は手漉きで板ガラスを作っていたのだそうですから、かなりのゆがみがありました。今は作れといっても無理でしょう。