本間美術館

がんばろう東北・温泉三昧の旅(9月6日=2日目の4)
 山形県酒田市の本間家をご存知でしょうか。江戸時代、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌にも読まれるほどの大金持ちでした。GHQによる農地解放までは日本一の大地主で、所有していた土地は最大3,000町歩(約90万坪)にも上りました。北前船の回船問屋としても利益を上げていたといいます。その本間家が所蔵していた美術品などを展示している「本間美術館」を訪れました。
 駐車場に車を置き、まず企画展が行われている新館へ。
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 9月は「南宋から明治まで…僧侶の書と絵画」展が行われていました。内部は撮影禁止なので、企画展のチラシを貼り付けておきます。
画像 チラシに印刷されているのは、酒田市指定文化財沢庵宗彭「三猿狂歌」、逸然性融「羅漢図・隠元讃」(部分)など。
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 続いて、庭園を抜けて本館に向かいます。上は、美術館の案内図です。
 左下は、本館への通路。右下、庭園の奥に見えるのが本館です。
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 本館は本間家の別邸として建てられたものですが、もっぱら荘内藩主酒井候をもてなすためだったそうです。始めは左側部分だけでしたが、大正天皇の宿舎に予定されたため、右側を増築したものです。しかし、大正天皇の酒田行は実現せず、後に昭和天皇が皇太子のころ泊まられたとのこと。本間家の迎賓館として使われてきたのですね。
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 庭門を抜けて、本館の玄関に向かいます。
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 残念ながら、本館内部も撮影禁止ですが、鳥海山を借景にしたという庭の撮影は許可されました。
 酒井候が来た際、松の木に鶴が舞い降りたことから「鶴舞園」と名付けられました。
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 本館の見どころについてはこちら。鶴舞園の見どころについてはこちら
 (続く)

この記事へのコメント

  • Hiro555

    藤沢周平記念館 土門拳記念館は
    よく行きますが 本間美術館は
    まだ行ったことがありません
    情緒風情ある庭ですね
    今度行ってみます
    2011年09月16日 23:04
  • まねき猫

    ひょっとして、倒産してしまいましたが、本間ゴルフの…?!
    酒田と言えば、本間家は有名ですね。
    それにしても、見事な庭園ですね。
    2011年09月16日 23:21
  • 長さん

    Hiro555さん、コメントありがとうございます。
    この庭園には、北前船の帰り便で各地から取り寄せた銘石を配しています。紅葉の頃行かれると良いと思いますよ。
    2011年09月16日 23:24
  • 長さん

    まねき猫さん、コメントありがとうございます。
    本間ゴルフは、酒田本間家の分家にあたるそうですよ。
    本家もバブル後に中核企業が倒産しましたが、不動産部門が堅実で、盛り返したそうです。
    2011年09月16日 23:34
  • miki

    本間美術館へは昨年の6月に行きました。
    本館にも上がり池を眺めたり建物の謁見の間
    なども見てゆっくりさせてもらいました。
    お庭と本館の写真を見ると懐かしいです。
    2011年09月17日 00:39
  • ケン坊

    恥ずかしいですが全く知りませんでした。
    素晴らしい美術館ですね。庭園も凄いですが建物も...見応えがありそうです。
    えぇ~本間ゴルフは分家にあたるんですか?
    ケン坊には敷地が90万坪って想像もつきませんね。たとえ東京ドーム何個分って言われても>笑<
    2011年09月17日 06:03
  • なおさん

    北前船の廻船問屋は日本海の各地にありますが、巨万の富を築き、大地主になった本間家にお出かけになりましたか。贅を尽くした庭園は素晴らしいですね。これからの紅葉の季節も良さそうです。

     90万坪、というのは想像もつかない広さですが、上には上がある、ということですねえ。スバラシイです。
    2011年09月17日 06:06
  • 無門

    こんにちは

    たまにはこんなスケールの大きな
    庭園もいいものですね
    膨大な資料がまだまだ
    お倉に眠っていることでしょう
    2011年09月17日 06:51
  • 目黒おじいちゃん

    すばらしいところですね。お金持ち=文化にかかわるとはいかない現代の金権主義を考えると古人の教養の深さを改めて感じます。わが故郷にも住友中興の祖といわれた広瀬宰平邸があります。母の代まではっかわりがありましたが質素倹約で建物のみは見るに耐えません。しかし須磨の晩年の住まいは瀬戸内海を借景にしたと自称いた立派な館だそうです。
    2011年09月17日 07:24
  • 無精庵

    酒田の本間と我が家
     小生も本間家ですが、もちろんあの大金持ちとは無関係です。でも、全く縁がないわけでもないので、余談・・・
     酒田の本間の縁戚の一人が大儲けをしようと、武蔵野一帯をかなり広く買い占めたことがあったのです。しかし、予想していた小金井駅の位置がずれ、思惑通りに土地が値上がりせず、倒産状態に追い込まれたのだそうです。
     どんな関わりがあったのかは識りませんが、その結果別荘地として比較的安く大量に分譲地が売り出され、昭和の初めに父が購入したのが現在の敷地です。
     両親と別れて兄弟で引き揚げて来て、手作りのバラック小屋を建てたのが今の家の近辺です。
    2011年09月17日 08:22
  • 長さん

    ミキさん、コメントありがとうございます。
    昨年行かれましたか。本館は豪華なつくりではありませんが、工夫を凝らした内装は流石と思わせるものがありますね。明治期の手漉きのガラスも雰囲気があるものでしたよね。
    2011年09月17日 10:57
  • 長さん

    ケン坊さん、コメントありがとうございます。
    私も本間家の凄さは、一昨年の小樽旅行の際、本間家の建物以上のものを作りたいとした鰊御殿・青山別邸を訪れた時なんですよ。
    90万坪、東京ドーム636個分なんて言われても想像できませんよね。
    2011年09月17日 11:06
  • 長さん

    なおさん、コメントありがとうございます。
    北前船で米を各地に送り、帰りは重石代わりに各地の銘石、銘木を持ち帰ったそうです。花の庭園ではないので、訪れた時に咲いていたのはピンクのサルスベリだけでしたが、紅葉の頃は良いでしょうね。
    2011年09月17日 11:09
  • 長さん

    無門さん、コメントありがとうございました。
    歴代の本間家当主は大金持ちと言われますが、実際はそれほど華美な生活を送っていたわけではないそうです。それでも、本間家から当美術館に寄贈された美術品は1000点もあったのだそうです。
    2011年09月17日 11:19
  • 長さん

    目黒のおじいちゃん、コメントありがとう
    広瀬宰平邸は新居浜にあるんだそうですね。そちらがおじいちゃんの故郷ですか。
    この本館は迎賓館として贅を尽くしたようですが、本間家歴代当主も質素倹約の気質があったように思われました。
    2011年09月17日 11:25
  • 長さん

    無精庵さん、コメントありがとうございます。
    苗字が同じでも、酒田本間家とは無関係でしたか。
    酒田本間家の関係する企業は沢山あったようですが、うまくいかないところもあったのでしょうね。
    2011年09月17日 11:36
  • 信徳

    凄い美術館ですね。財をなして美術館を造る。庭も素敵な日本庭園、足立美術館を思い出しました。
    2011年09月17日 13:00
  • あいべん

    酒田、本間家、懐かしい名前です。
    最初は大学一年の時学生運動真っ盛り
    講義が無い、公安がうるさい・・。
    旅に出るか・・で鈍行で新潟、山形、秋田
    酒田で降りて鳥海山見るかで途中まで・・。
    酒田で本間家に行き駅で夜を明かし又鈍行・・。
    こんな時代にも行きました。
    社会人となり仕事で東北廻る時懐かしくて
    何度か羽黒、酒田には行きました。
    昔昔の思い出ですね。
    安保反対って何だったのだろうか?
    もしかして、青春時代の思い出・・?です。
    コメントになっていませんね。ご免なさい。
    2011年09月17日 13:07
  • 長さん

    信徳さん、コメントありがとうございます。
    農地解放の後、本間家は税金の支払いに四苦八苦したようです。その後、ここの土地建物、美術品にお金を添えて美術館に寄付したんだそうです。足立美術館の庭園とは比較にならないくらい小さいです。
    2011年09月17日 14:27
  • 長さん

    あいべんさん、コメントありがとうございます。
    この辺りは、学生の頃の思い出の地でしたか。
    安保闘争のころ、私はまだ高校生。大学4年の頃が学校紛争がひどくなった時期でした。
    2011年09月17日 14:30
  • 行き当たりばったり

    今晩は。本間様、福島でも聞いたことがあります。
    しかし、ものすごい豪邸ですね。
    権力者はいつの世も、大きな家を作るし、必要になるのですね。
    そして永遠でもないのですね---。
    2011年09月17日 19:05
  • hanasaku

    こんばんは
    あのすごく恥ずかしいのですが本間家の事は知りませんでした。あの豪邸に住んで庭を散策なんて夢の様です。
    2011年09月17日 20:13
  • 長さん

    行き当たりばったりさん、コメントありがとうございます。
    昔は才覚があるものが莫大な利益をあげられる時代だったのですね。本間家の不幸はGHQによる農地解放だったわけですが、これも歴史の必然でしょうか。
    2011年09月17日 21:31
  • 長さん

    hanasakuさん、コメントありがとうございます。
    本間様はご存じなくとも本間ゴルフはご存知でしょう。あの本間ゴルフは倒産してしまいましたが、その本家にあたるんですよ。
    2011年09月17日 21:36
  • ホンマ ゴルフ

    存知でしょうか。江戸時代、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌にも読まれるほどの大金持ちでした。GHQによる農地解放までは日本一の大地主で、所有していた土地は最大3,000町歩(約90万坪)にも上りました。北
    2012年06月21日 14:00

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