(山手七福神めぐりのお寺については、こちらや、こちらをご覧下さい)
11時15分にJR品川駅前に集合したのは23名、先ずは品川プリンスホテル内の和食レストラン「ななかまど」の個室を借りて、松花堂弁当(左下)の昼食です。新年早々の企画なので、新年会を兼ねることにました。会長あいさつに続き、副会長のムーさんが乾杯の音頭(右下)。
12時45分、1名を加え、総勢24名で七福神巡りに出発です。グランドプリンスホテル新高輪(写真左下の白いビル)に至る柘榴坂を登ります。街路樹の根元には、「アドプト活動」によってガーデンシクラメンやパンジーなどが植えられていました。
アドプト(アダプト)活動とは、アダプトが「養子縁組をする」という趣旨から、住民や企業などの団体がボランティアで美化運動を行い、道路や河川などの公共空間をわが子のように面倒をみていく活動のことだそうです。
柘榴坂の突き当たりを右折し、せんぽ東京高輪病院前を北に向かいます。すると、右手に高野山東京別院がありました。高野山とは真言宗の総本山金剛峯寺のことですが、東京に別院があるなんて知りませんでした。
やがて、高輪警察署前交差点です。ここには、高輪消防署二本榎出張所がありますが、この建物は昭和8年に建てられたというレトロなもの。第一次世界大戦後に流行した近代的なドイツ表現派というスタイルだそうです。丸い塔屋は望楼になっています。
二本榎とはこのあたりの地名ですが、その由来が港区によって記されていました。当時の榎は既になく、何代目かのものが地区の象徴として植えられていました。
高輪警察署前を左折し、国道1号線の明治学院前交差点を右折します。反対側の歩道越しに明治学院大学の歴史的建造物が見えます。下の写真・中央右手のネオゴシック様式の建物が「明治学院記念館」です。明治23(1890)年に建てられたもので、港区の有形文化財になっています。その右手の建物は「明治学院インブリー館」です。明治22(1889)年、宣教師の住宅として建てられもので、国の重要文化財になっています。明治学院記念館の左手、屋根に尖塔が突き出ている建物は「明治学院礼拝堂」で、大正5(1916)年建造、港区の有形文化財です。
「何故この写真だけが大きいのか」ですって?次男の卒業した大学だからです。
明治学院前から1号線を北に400数十m、清正公前交差点の横断歩道を渡れば、七福神巡り最初のお寺、覚林寺です。
山手七福神巡り
七福神信仰は室町時代の中頃から起こり、始めは恵比寿・大黒天が信仰され、江戸時代中期には庶民にとっては信仰の一つとして多くの方に今の七福神の形が定着いたしました。
「江戸最初・山手七福神」は江戸城の裏鬼門守護のため、将軍の鷹狩の際に参詣した「目黒の不動堂(龍泉寺)」の産経道筋に設置された江戸時代から続く、江戸最初の七福神巡りです。
というとことで初回はお寺の手前で終わってしまいましたが、次回からいよいよ本格的な七福神巡りが始まります。
(続く)
この記事へのコメント
海遊
なかなか良い企画ですね。
お天気にも恵まれて
さぞかし楽しいお参りになった
ことでしょう
たかようじ
楽しみです。
それより 品川プリンスホテル 「ななかまど」
に、反応しました。30年位前の話、東京本社の
会社に勤務、出張多く、宿は品川プリンスホテル。
朝食の 「ななかまど」の 魚の 干物の
美味しかったことを 思い出しました。
その後は 他のホテルなので、あの味わいは
7年位、年に6、7回も 続いていたのです。
懐かしいな~。 横道の話で、ごめんなさい。
信徳
なおさん
hiro
3年ぐらい前に谷中七福神を巡りましたが、今もいただいた朱印を飾っています。
長さん
七福神巡りは、OB会の行事として3回目ですから、人気の企画です。ご利益を授かるほかに、健康にもいいですからね。
長さん
品川プリンスホテルはご出張の定宿でしたか。それは懐かしかったでしょう。当時は、バイキングはまだ営業していませんでしたか?
長さん
七福神巡りは恒例の企画になりました。
歩行数ですが、今回は昼食の都合で品川出発になったので、我が家のドア・ツー・ドアで18800でした(内、最寄り駅までの往復が4500ほど)。この七福神巡りの場合、東京メトロ白金高輪駅~各寺~東急目黒線不動前駅が最短距離です。
長さん
結果的には昼食後出発で、腹ごなしには丁度良かったですね。しかし、新年会で飲み過ぎた人は、ちょっと困ったことになりました。
い草は編めなかったのですが、道草は食いました。
長さん
谷中七福神巡りをされましたか。江戸時代にはいくつもの七福神が作られたそうですが、谷中は日本最古と伝えられているそうですね。
私たちは昨年葛飾柴又の七福神を巡りました。
たかようじ
ありませんでした。 品川プリンスは
その時代、賑わって 楽しいホテルでした。
ポン太
高野山の東京別院があるって知りませんでした。私の母方の祖父は金剛峯寺に勤めていました。納所と言っていましたが事務方だったのだと思います。小さい頃よく高野山に行きました。(関係ない話でごめん)
アドブト活動というのですか。公園なんかの奉仕活動も含まれるのでしょうか?先日、公園で冬木に肥料をやっている方がボランティアのようでしたが、、。
「水とピー」なんて失礼なことでごめんなさい。
nobara
長さんはいつもお仲間と一緒で楽しそうですね。
東京にいますと会社の歩け歩けなどもいろいろ企画があり参加するのですがこちらではさっぱりです。いつも夫婦単位で動く事に。七福神巡りはこれからですね~いろいろ珍事も起きますでしょうかヘ(^o^)/
長さん
長さん
七福神巡りは何人かでわいわい言いながら巡るのが良いようです。江戸時代もきっとそうだったのでしょう。
お祖父様が金剛峯寺にお勤めでしたか。10年くらい前、1度だけ行ったことがありますよ。
アダプト活動は個人的なボランティアというより、組織化されたボランティアという印象でしょうか。
みずとぴーと読んでしまったので、一瞬?でした。こちらこそごめんなさいね。
長さん
仲間と言っても、二つの組織だけなんですよ。むしろ夫婦でどこかに行く機会のほうが多いと思います。
七福神巡り、平穏無事というか、残念ながらというか、特段の珍事は起きませんでした。でも、初めての道は面白かったですよ。
shuuter
今年の幸多きこと願って楽しくウオーキングをするのは いいものです。
長さん
昨年に続き、2度目の七福神巡りです。品川駅から不動前駅までの歩数は12000位だろうと思いますが、道草を食いながらです。もっと早く歩かないとウォーキングとは言えませんが、歩くのは楽しいことです。
菜の花
長さん
白金台駅は二番目の瑞聖寺から三番目の妙円寺に向かうときに通過しましたよ。紙の上でも一緒に歩きましょう。
まねき猫
ご次男さん、明学OBなのですか。明学には友人がいなかったので、行ったことありませんが、すてきな建物ですね♪
長さん
品川税務署は新高プリの手前ですね。そう言えば、今回通過した目黒駅も目黒区ではなく、品川区でした。
明学は偏差値が高くないので、自慢するほどの大学ではありませんが、つい肩入れしてしまいました。
ケン坊
新年早々の新年会に23名も参加するなんて団結力があるんですね。ある意味では羨ましいです。
総勢24名の七福神めぐり...賑やかで七福神も大喜びだったでしょうね。やはり、元祖というと”本家”とかもあるんでしょうか>笑<
明治学院大学の建物は初めて見ました。素晴らしい歴史のある建造物なんですね。有形文化財じゃ一度見てみる価値がありそうですね。
まねき猫
あの戦場カメラマンの渡部陽一さんも。
私の好きなアルフィーも♪
自慢するほどの大学でないということは、
「ないと思います!」(天津木村風の逆バージョン)
行き当たりばったり
長さん
七福神巡りは今回3回目の企画です。参加者は今回が最多でした。
山手七福神巡りは元祖と言われていますが、谷中の七福神巡りも古いそうで、こちらは最古と言っているようです。歴史の確証がないので、今でも古さを競っているんですね。
息子の卒業した大学を宣伝しております。
長さん
アルフィーも渡部陽一さんも卒業生でしたか。
長さん
3時間ほどの行程を一週間かけて報告します。冬はブログネタが不足しているので、記事をふくらませております。これって、旅行の報告もそうでしたね。
江戸時代の庶民は信仰心が篤く、また、娯楽が少なかったせいか、各地で七福神巡りが作られたそうです。