古き松戸を歩こう・・・10月3日(その2)

 水戸道中膝栗毛同好会企画の「古き松戸を歩こう」に参加した。その講座、4回目の続きです。
 平戸弁天を後にした一行は、大谷口歴史公園に向かう途中、大谷口神明神社と大勝院を見る。神明神社(写真左下)は天文6年(1537)に、小金城の鎮守として創建されたもの。境内には古い庚申塔が197基もも残されている。
 遠矢山普門寺大勝院(写真右下)は高城氏の祈願寺で、小金城ができたとき(1537)、それまでの居城だった根木内城から移されたもの。本堂や鐘突堂などは近年に再建されたものだが、境内には推定樹齢700数十年のヤマザクラ、同じく500数十年の大イチョウの木が保護されていた。
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画像 大勝院前にある、かわいい道しるべ。もちろん最近のもの。

 高城氏は天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻めの際、北条方に加わったため、小金城も秀吉方の浅野長政によって落城してしまう。戦後、宅地開発ブームになり、小金城跡の殆どは東急不動産により破壊されてしまった。現在は、小高い丘の上にある大谷口歴史公園に往時をしのばせる土塁、障子堀(空堀の途中に間仕切りを造り、侵入した敵をさえぎる構造)と畝堀(空堀の底にかまぼこ型の畝を造り、敵が横に移動しにくくする構造)跡が復元されているのみ。右下の写真は障子掘跡。
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 左下の写真は畝掘跡。右下は、4つあった小金城の虎口(入り口)の一つで達磨口跡。
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 松戸では有名な篤志家の経営する大倉記念病院を左に見て、一行は本土寺に向かう。あじさい寺でも有名な長谷山(ちょうこくさん)本土寺は、建治3年(1277)豪族平賀忠晴の屋敷内に日蓮上人の弟子日朗を導師として招き開堂したのが起こりだという。寺の名前は日蓮から賜ったという。池上の本門寺と鎌倉の妙本寺と共に『朗門三長三山の本山』と称され屈指の名刹。山門へと続く450mほどの参道は、水戸光圀が寄進したといわれる松杉の並木道(写真左下)。右下は山門。
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 4週・4回の講座は本土寺の拝観券売り場前で解散となった。水戸道中膝栗毛同好会のみなさん、松戸市公民館のTさん、ありがとうございます。お世話になりました。また機会がありましたら、講座に参加させていただきます。

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