連続参加記録が44回で途切れた

画像 高卒でJALに入社した1962年、まだ試用期間中の身分で、労組員ではなかったが、先輩に誘われて、初めてメーデーに参加した。
 当時の日航労組は、「沈まぬ太陽」のモデルとして有名になった小倉さんが委員長を勤めており、62年春闘で日航初のストライキを打ち、23.5%という大幅な賃上げを実現したばかり。私の賃金が3000円も増えた記憶がある。
 小倉執行部はその前年末闘争で、高レベルな労働条件を勝ち取っており、メーデー休日も含まれていた。従って、メーデーの参加者もかなり多かった。
 以来、在職中は勿論、定年になってからもメーデーに参加し続け、昨年はその連続記録が44回になった。調べたことはないが、航空労働界では、これを抜く記録をお持ちの方は恐らくおられまい。
 今年も労組役員は現役であり、参加したかったのだが、新居が間もなく引き渡し・引越し準備と買い物などなどで気ぜわしく、やむなく断念した次第。
 妻曰く、「連続記録が何だって言うの?」。・・・おっしゃるとおり、何にもなりません!

写真は、65年のメーデー行進(日航労組50年史から)。

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